SERIAL | プロダクト / 工芸
19時間前
「コロンがつたやを買い取った」という話を聞いた時、「やるなぁ」と驚いた。
コロンは山形県天童市のデザイン事務所で、つたやは山形県米沢市の木地玩具の工房。2016年からコロンはつたやの業務を起死回生させるべくデザインを起こし、やっと調子が出てきた、というときに、あの2020年。米沢の温泉地・小野川温泉の小さな工房は大打撃を受け、山形県のコロナ倒産の第1号になってしまったのだ。
全国の産業工芸試験場のなかでも歴史ある山形県工業技術センターは、さまざまな活動で地場産業とデザインの関わりの後押しを試みているが、そのひとつに「デザ縁」がある。
行政がお膳立てして、プロデューサーやデザイナーとつくり手を結ぶ。名乗りを上げた工場に彼らを招き入れ現場を見てもらい、興味を持ったデザイナーが工場に自身のプレゼンをする。お互いに納得したら、市場に即したものをつくるという「デザイン縁組」という取り組みだ。
「デザ縁」が始まった2016年の回では、「つたや」(創業大正2年)の工場訪問があった。全国で売られている土産物のコマの多くを手がける工房で、工場長の蔦さんの技術とこだわりに、見学に行った一同は拍手喝采だった。
つたやでは、過去何回かデザイナーとのコラボレーションも経験したが、デザイナーが“売れそう”と思ったものをつくっても、つたやの販売網では売れなかったという。だが、参加したコロンの萩原尚季(たかき)さんに、他のデザイナーとは違う何かを感じ、「つたやはコロンと仕事をしたい」、と申し出ることになる。無事に縁組が成功したのだ。
コロンの萩原尚季さんと、川勝節子さん。食器棚には萩原さんが北欧留学中に蚤の市で手に入れたビンテージ食器などがずらり。
つたやが長年製造していた品々は懐かしさを感じるものだったが、ニスの光り方など、残念ながら「レトロだけど、ちょっと古臭い」感覚を拭えなかった。萩原さんは最初新しい物をつくらずとも、つや消しの塗装に変えるだけでも良いのではと思った。しかし、そこにひと手間加えて、金額を高くしても売れる市場を掘り起こし、新しいアイテムは卸はせずに直接小売店で販売することで利益を確保する、ということを目標に仕事に携わることになった。
コンサル的な話も関わるため、まずは問題点の洗い出しから始める。木地と塗装の相性から撥ねられた木地が山積みされていた。それを救い出すために、塗装の仕方を変えた。そして使わない時は置物として楽しめるように飾れる“台”を考えた。この台だけが新規の開発で、あとはグラフィックデザイナーの萩原さんが本領発揮した愛らしい顔を付けた。ここに付加価値を上げた「飾りコマ」が誕生した。
左は従来の製品が掲載されているカタログ。右はコロンが作成した飾りコマ専用カタログ。商品のイメージが大きく変わったことがわかる。
コロンデザインの飾りコマ「青おに(大)」。
デザイナーと工場が組む方法には、デザイン売り切りやロイヤリティー契約などいくつかのパターンがあるが、つたやはデザイン費を払う余裕がなかったので、ロイヤリティー契約を結んだ。ロイヤリティーだけというなかなか元が取れない条件を飲んだのは、「注目されるための起爆剤」ではなく「未来永劫、売れ続けるもの」をデザインした、という萩原さんの自負があったからでもある。
先に「つたやの販売網では売れなかった」と書いたが、「売る」ことは難しい。どんな良い物でも、感覚の違う場所に売り込んだのでは売れる物も売れない。コロンも仕入れ先を積極的に探して売り上げを確保していった。デザインはしたけど自分ではそれを使ったこともない、というデザイナーも少なくないなか、営業を自ら買ってでも売りたいと思える品となったのは両者にとってとても幸せなことだった。
しかし順調にいくかと思われた矢先にコロナ禍。つたやは米沢で土産物店も営んでいた。過去、コンサルの指導のもと借金をして土産物店の拡張を行ったが、コロナ禍による観光の崩壊で、コマの卸もなくなり、借入金の返済の目処が立たなくなったのだ。
そこで、「コロンが会社を買い取った」というのは、実は尾ひれがついており、継承したのは「飾りコマ」のみだった。工場丸ごとだと思っていた筆者は肩透かしを食らった気持ちになったが、結果、「雪国での働き方」を知ることとなる。
現在、顔の表情が重要なものに関しては、節子さんが金工をする自分の工房の隅で描いている。分業の職人も、自分の仕事場や家の片隅で作業を続けている。
米沢の冬は雪深い。そんな気候の中で生き残る術として分業が発達した。農業ができない冬場の仕事として、木地玩具の部品ごと・作業ごとに細かく分けて村人にあてがい、最終的にそれらの仕事をまとめていたのがつたやだったという。
倒産・廃業の際、雇用の問題も出てくるのが常だ。高齢者が多かったため廃業は必然だと思っていたが、コロンが「売り続けたい」という思いを伝えると、蔦工場長と数名の職人は「作り続けたい」と、言ってくれた。つたや全てを救うことはできないが、「飾りコマ」だけならば救えるかもしれない、と萩原さんは動き出す。
財務整理の競売、という深刻な言葉の響きとは裏腹に、至って穏やかな入札だったと、と萩原さんが言う。競合相手は顔見知りで、事業継続のための機械や仕掛品はコロンが落とせるようにしてくれたという。つたやの工場はなくなったが、もともと農業との兼業の人も多かったうえ、機械はそれほど大きなものではない。ある人は納屋の片隅に、またある人は家の中に機械を置いて作業を続けているという。
こちらの機械は競売で落札したもの。
「新生つたやの新工場を見に行く」気持ち満々だった筆者は、この継続の方法に拍子抜けしたが、「デザインとは何か」をふと考えた。
新作を出し続けること、新旧の入れ替わりはデザイン業界の常だが、コロンは小さな工場の、小さなアイテムを救った。動き自体はわずかだが、この動きに、彼らの「自分たちのデザインをつくり続ける」強い決意を感じた。デザインをし続けるのはデザイナーの使命でもあるが、一度、デザインしたものを生き続けさせるという努力もデザイナーには必要なのでは……と思ったのだった。
コロンが所有する「コロンコーポ」。コロンのコレクション家具を、住民に貸し出すことも。