地域に根づいた素材を生かす、日本の道具のつくり手たち
「旭川、山形、高岡」編

前回に続き、「日本の道具」展に参加しているつくり手たちを、工芸を支える「素材」と併せて紹介する。




旭川の木材と高橋工芸

「ウッドショック」が叫ばれて久しい。家を建てた知人から「見積もり額と請求額がまったく違って参った」と聞いた。ものづくりの作家からも原料高の話を聞く。コロナやウクライナ情勢で外国産の材料は手に入りづらくなり、価格高騰が続いている。

北海道・旭川は家具の産地。高橋工芸・高橋秀寿さんのお父様は、家具の引き出しの把手などをろくろでつくる技術を習得してから、ものづくりの工房を立ち上げた。代表作はエンジュ製マグカップなど。秀寿さんは、工芸のコーディネーターである佐藤裕見さんのアドバイスで木村硝子店の極薄グラス「コンパクトシリーズ」の形を木でつくることに挑戦する。

Kamiグラスと呼ばれるようになるこのコップの素材はセンだ。小野里奈さんがデザインしたCaraシリーズの材料はシナ。いずれも地元材にこだわっていたが、洋風なイメージのKakudoシリーズ(大治将典デザイン)、ケーキスタンド(小野里奈デザイン)は輸入材のウォールナット、チェリー、メープルでスタートした。

発表から10年が過ぎた頃にやってきた、このウッドショック。主力製品では北海道産の木材を使っているにもかかわらず、この2シリーズだけ外材ということに疑問を持つようになっていた高橋さんは、道内産の木材を採用する決断をする。敷地内に積み重なる木材の数々は、高橋工芸を表す風景のひとつだ。いずれも丸太ごと手に入れ、希望の厚みに製材してもらい、乾燥は自社で行う。今回の展示に並んでいる品々は、2年の乾燥を経て、やっと使えるようになった材によるもの。メリハリの効いた色の外材と違い、国産のウォールナットとチェリーの木目は近い色だ。しかし多くのお客様は、それぞれの違い、好みをしっかり見極めて選んでいる。「木材の仕入れが増えて、材料置き場がいっぱいで大変な目に遭っている」と高橋さんは苦笑いするが、送られてきた山積みの材料の写真から、自信を持って道内産にこだわる決意が感じられる。

▲国産材を使った高橋工芸の製品シリーズ。カッティングボードのイタカヤエデは輸入材。




胡桃(山形)と一景舎

ライフスタイルショップが増え、手仕事のものが注目されるなかで、籠に興味を持つ新しい世代が増えている。昔から愛好者は多かったが、使う人だけでなくつくる人も増えているように感じる。山形でひっそり胡桃の籠を編む一景舎は、つくり手の顔も名前も明かさずに活動を続けている。

籠が思いのほか高い値付けなのは、作業の手間だけでなく材料の希少性によるところも大きい。葡萄のつる、アケビなど、山に自生しているものを採取するには、土地勘やその土地の地権者と交渉する力、素材を見る目、そして装備や体力などが必要だ。一景舎も胡桃が育つ土地を探し、地権者と交渉し、山に入る。生活道具であった籠は、農閑期の仕事としてつくられたものが多い。つまり「必要なときに、必要なだけ」つくっていたのだ。それは山を守る術でもある。どんなものでもそうだが、必要以上の伐採は、生態系を壊す。もちろん、竹のように成長と繁殖が旺盛なものもあるが、竹の一大産地である大分では、竹を伐採する刈り子の減少が問題になっている。大変な労働にも関わらず、あまりにもギリギリの労賃で竹を供給してくれていた人たちが高齢化したのち、同じ条件で跡を継ぐものがいないという。この話はまた改めてするとしよう。今はつるや樹皮の話だ。

いずれにせよ、山から頂くものにはバランスが必要だ。一景舎も他の仕事をしながら籠の制作を続けている。ご本人は専業でないことに躊躇いもあるかもしれないが、生態系のためにも、今のペースがいいのではないかと筆者は思っている。露出し過ぎず、つくり過ぎず、それゆえに1点ずつ集中して「胡桃の立木の姿をそのままかたちにしたい」という思いのもと制作ができている。最初は「もの勝負」と名前を伏せていたが、あまりにも露出が少なすぎることに本人も気になってきたようだ。「つくり手の責任として、そろそろ名前を出そうかと思っている」と語る。

▲胡桃の生命力が、そのまま表現された籠。

▲胡桃の木は初夏のごく一部の時期にしか皮が剥がれない。この時は、皮剥きに専念する。




銅(高岡)と池田晴美さん

富山県高岡地域は伝統工芸が盛んな街だ。伝統的工芸品の指定を受けた高岡銅器、高岡漆器というふたつの工芸品の従事者は実に多い。ここ10数年、能作や二上(ふたがみ)など、海外にも好評な生活用品が生まれ、高岡の地名を知ることになった人も多いだろう。そのベースには仏具や文化財の保存といった、“非日常”の文化を支える仕事が土台をつくっている。

この街ぐるみで「工芸の街」として盛り上げている高岡にある富山大学には通称「芸文」こと芸術文化学部がある。高校時代、金属工芸に興味を持った池田晴美さんは、高校の恩師から、この学部を紹介され、生まれ育った福岡から富山に向かう。持って生まれた器用さから、彫金仕事も鍛金も挫折したことはなかったという。大学では「美術・工芸の歴史を学ぶ授業もあり、社会的な面からも考えたり理解するきっかけになった」と自分が進んだ道に間違いはなかったと語っている。卒業後は、アクセサリーの会社で金属加工に携わり、独立後は高岡の真鍮を扱う工房の請負仕事も受けた。高岡にはデザイン・工芸センターがあるが、このセンターの設備が使えることも道具を十分に揃えていない駆け出しの作家にはありがたいことだった。工芸センターもさまざまなトライアルをしており、彼女と「フライパンづくりのワークショップ」を計画。プロの工芸技術者も興味を持ち、生徒として参加。その出会いからまた、世界が広がったという。「高岡銅器のまち」に出会ったことが、彼女を大きくしていることは間違いない。

▲創作意欲が溢れる池田さん。会期中に売れ線のポット類を追加してくれました。黒いものは硫化仕上げ。




ラオスの布と谷 由起子さん

以前にもこの連載で紹介した谷 由起子さんからも品物を預かっている。谷さんはラオスでの制作中、「この糸があるからこの布ができる」と、糸の強さ、生命力によって、この布ができる……と常々語られていた。百聞は一見にしかず。ぜひ、会場で触って、感じていただきたい。End

▲谷さんがラオスから持ち帰ったお品を一部、分けていただきました。