「冬夏」フーデリコ(2021)。オーガニック・ティーブランドのパッケージデザイン。Photo by Keta Tamamura
岡本健は、千葉大学文学部行動科学科で色彩心理学を学び、佐藤卓の事務所などを経て独立。今秋にはグラフィックデザインの世界に飛び込んで20年、事務所を法人化してから10年目を迎える。ロゴ、ポスター、パッケージ、ウェブサイト、書籍、ブランディング、サイン計画、展覧会のデザインのほか、最近では企業の組織運営に関わるプロジェクトなど、新しい分野にも意欲的に挑戦している。そんな岡本に転機になったプロジェクトや、グラフィックデザインに対する考えを聞いた。
「鉱物の実」御菓子丸(2024)。熟れて地に落ちる果実、あるいは地中に埋まる鉱物のような佇まいを形にした。Photo by Keta Tamamura
人の購買意欲への興味からこの世界へ
岡本は、1983年に群馬県太田市で生まれた。子どもの頃から絵を描いたり、ものをつくるのが好きだった。プロダクトデザイナーの父に美術学校への進学を反対され、90年代に日本で関心が高まった心理学に興味を覚え、千葉大学文学部行動科学科に2001年に入学。人の購買意欲について学ぼうと考え、色彩心理学を専攻した。
研究を進めていくうちに、パッケージデザインの分野にたどり着いた。「店頭に並ぶ商品すべてを誰かがデザインしていると気づき、そこから雑誌や本を読みあさって、グラフィックデザイナーという職能に興味を抱くようになりました」と、自身の出発点を振り返る。
「moln」franky(2021)。トラベルブランド「moln」のロゴなど、アートディレクションを手がけた。プロダクトデザインは、柴田文江。Photo by Yosuke Suzuki
大学卒業後にデザインの世界に飛び込むが、文学部出身だったため道のりは厳しく、アルバイトを転々とする日々を過ごした。その後、縁あってデザイン事務所のヴォルに入所、一からグラフィックデザインを学んだ。そこに4年間勤めたのち、佐藤卓が主宰するTSDOの門を叩いた。
佐藤の妥協のない仕事ぶりに衝撃を受け、佐藤のデザインに対する考え方や先輩スタッフたちの0.01mm単位でデザインを詰めていく姿勢を見ながら日々、貪欲に吸収していった。多様な案件に取り組むなか、NHK Eテレ「デザインあ」の番組の立ち上げに携わるなど、幅広いデザインに触れた。
「GOOD DESIGN EXHIBITION 2023」のポスター 日本デザイン振興会(2023)。Gマークを高速回転させてビジュアルを生成。日本酒の透明度を測る二重丸(蛇目模様)のように、良いものを見極めるという意味を含む。Photo by Keta Tamamura
「GOOD DESIGN EXHIBITION 2023」の展示デザイン。Photo by Ryota Minato
残すべき財産を考える、リファインのプロジェクト
佐藤の事務所で研鑽を積んで4年、2013年に独立。スタッフの雇用などに伴い、2015年に事務所を法人化した。
岡本が独立後に数多く取り組み、現在も興味のあるプロジェクトのひとつがリファインだ。「目新しい見え方に刷新するリニューアルと異なり、リファインはこれまでの財産を引き継ぎ、極力変えずに丁寧に再構築し、より良くしていくことを目指します。建造物の耐震補強や、日本画の修復のような作業です」。これまで手がけたものに、東京大学生産技術研究所のロゴマーク、画家の猪熊弦一郎原案の三越の包装紙「華ひらく」や、白石温麺を製造する宮城県のきちみ製麺のCIなどがある。
リファインのプロジェクトでいちばん重要なのは、「残すべき財産は何かを見出すこと」と岡本は考える。時間をかけて徹底的にリサーチし、何をもってリファインするのかを見極めたうえで細部まで検証を重ねていく。
「華ひらく」のリファイン 三越伊勢丹(2017)。長年愛されている「華ひらく」のデザインを丁寧に読み解き、色調や形状を微調整し、あるべき姿に整えることを目指した。Photo by Keta Tamamura
東京大学生産技術研究所のロゴマークのリファイン(2016)。デザインエンジニアで東京大学特別教授の山中俊治から依頼されたプロジェクト。
きちみ製麺のロゴマークのリファイン(2025)。宮城県白石市の名産、温麺(うーめん)の文化を100年後にも残すことを目標に掲げ、つりがね印のゆがみやかすれを修復し、商品名がわかりやすいように文言を調整。飲食店「つりがね庵」のグラフィックも担当した。
既存のシステムを活用し、デザインの民主化を提案
岡本の事務所ではさまざまな職能をもつスタッフが在籍しており、グラフィックデザインの領域を超えたプロジェクトに取り組むことが多々ある。フーデリコ代表の奥村文絵が手がけるオーガニック・ティーブランド「冬夏」は、多品種少量生産で、商品の入れ替えが頻繁にあり、すべてのパッケージをデザイナーに依頼することが難しいプロジェクトだった。
そこで岡本はエンジニアも兼務するスタッフの飯塚大和とともに、WordPressを用い、クライアントがブラウザ上で文字を打ち込むことでパッケージデザインを自動生成できるウェブ組版システムを設計した。「商品の特性から考えて、デザイナーがすべてを担うのでなく、クライアントも参加できるようにデザインを民主化することも一案だと考え、僕らにとっても新しい試みとなりました」(岡本)。
「冬夏」フーデリコ(2021)。オーガニック・ティーブランドのパッケージ。デザインされたフォーマットに沿って、クライアントの担当者が文字を入力することができる。Photo by Keta Tamamura
「冬夏」フーデリコ(2021)。パッケージやラベルシールのデザインフォーマットをつくり、URLを打ち込むことでQRコードなども出力できるようにした。
ほかにもエディトリアル、イラストレーションなど、それぞれに得意分野をもつスタッフが在籍する。岡本は、今後の事務所の展望についてこう話す。「長く勤めるスタッフも多く、各々の技能も成熟してきているので、個々のスタッフもアートディレクターとして動くような仕事の相談をいただけるようになったら嬉しいです」。
「HIGASHIOSAKA FACTORies」 東大阪市(2017)。東大阪市の多彩な技術や創意に富んだものづくりの魅力を国内外に広く発信するプロジェクトにおいて、ロゴマークやパンフレット、展示デザイン、ウェブサイトなどを手がけた。
「HIGASHIOSAKA FACTORies」 のパンフレット(2017)。
正直に真摯に取り組む
この世界に飛び込んでから20年が経つ。岡本はいつもどのようにグラフィックデザインと向き合っているのだろうか。
「グラフィックデザインは、おいしくないものをおいしそうに見せたり、安いものを高そうに見せたりなど、外側を飾って中身を偽ることもできる危険な道具でもあると感じています。だからこそ、ひとつひとつのプロジェクトに真摯に取り組み、正直なものを生み出したいと考えています。一方で、わかりやすいものだけが正しいわけではなく、わからないもの、不確かなものにも人は惹きつけられるとも感じているので、誠実に、物事の本質を捉えながらも、違和感や癖のようなエッセンスを盛り込みたいと考えています。『美しい』と言われるよりも、『また変なものつくっているね』と言われるほうが嬉しいですね(笑)」。
「ことばのおもみ」21_21 DESIGN SIGHT(2015)。「単位展」で発表した、建築家の大野友資との共同制作作品「ことばのおもみ」。濁点を1gとして、平仮名の面積比から重さを計測して可視化した。Photo by Gottingham
10周年を経たこれからの展望
多様な分野のクライアントや同業のデザイナーからも声がかかり、最近では企業の組織運営に関わるプロジェクトにも携わる。そんな岡本に今後やってみたいことについて聞いた。
「リファインについては、引き続き探っていきたいです。まだまだ世の中に残すべき財産がたくさんあると思いますし、特に永く愛され残っているロゴや商品はこの先も何十年と必要とされると思うので、そういった財産の耐久性を高めて、後世に残すお手伝いをすることができたら嬉しいです。免許証やクルマのナンバープレートなど、普段人々があまりデザインに気にとめていないにもかかわらず、日常に溶け込んでいる公共のグラフィックデザインは数多くあります。それらにもリファインの余地があるかもしれませんね」と願望を明かした。その言葉の裏には、グラフィックデザインは「人の生活に深く根ざすもの」という岡本の考えが見える。
世田谷パブリックシアターのポスター(2024〜)。年間ビジュアルを担当。人々が集い、関わり、触れ合う温度のある場所を表現するために、手遊びのように紙をちぎり、折り、点を加えることで、人々の多様な動きを形にした。Photo by Keta Tamamura
世田谷パブリックシアターの駅構内のポスター(2024〜)。Photo by Horino Miyuki
専門的な美術教育を受けず、実務を通してデザインと向き合ってきた岡本にとって、デザイナーとして表現の作家性をもつことが必要ではないかと思い悩んだ時期もあったそうだ。けれども、特定の作家性をもたないことは、クライアントの想いに寄り添い、プロジェクトごとにデザインに向き合う柔軟性につながる。現に、「私たちの声をここまで丁寧に聞いてくれるデザイナーに初めて会いました」とクライアントから言われることもあり、ロゴや商品など、永く使われ愛されているものが多い。デザインするものは個人の作品ではなく、人の生活に根ざすものと考え、「誠実で、正直な気持ち」で取り組む岡本の姿勢が多くの人に伝わっている証拠だろう。
最近では事務所に3Dプリンタを導入するなど、また新たな分野に挑戦しようとしているところだ。「事務所が10年という節目を迎え、これまで以上に責任のある仕事を依頼いただくことも増えています。これからもスタッフを大切にしながら、ひとつひとつのプロジェクトに真摯に取り組んでいきたい」と岡本は今の思いを語る。進行中のさまざまなプロジェクトが、ウェブサイトやSNSなどで順次発表されることを楽しみに待ちたい。
岡本 健(おかもと・けん)/グラフィックデザイナー。1983年群馬県生まれ。千葉大学文学部行動科学科で心理学を専攻、研究の一環で調べたグラフィックデザインに興味をもち、方向転換。卒業後、複数のデザイン事務所で実務経験を積み、株式会社ヴォル、株式会社佐藤卓デザイン事務所を経て2013年に独立。桑沢デザイン研究所非常勤講師(2021〜)、愛知県立芸術大学非常勤講師(2024)。