イノベーションを生む新手法
「エスノヴィジョン」とは何なのか?

博報堂とAXISデザインチームにより、六本木のAXISギャラリーで先月催された「エスノグラフィから生まれるプロダクトデザイン」展。博報堂が開発した「エスノヴィジョン」を応用したものづくりやサービスの開発について、実際の現場を時間軸に沿って再現した内容だった。コンセプトを紐解く講演会も行われ、その全貌が明らかにされた。

生活者視点のイノベーションを生み出すために

本当の意味で生活者の側に立って、イノベーションを創り出すには——新たなものづくりやサービスの開発現場で、デザイナーやマーケッターによる従来の知見以上のものが求められて久しい。そこで広告代理店の博報堂が開発したのは、生活者の調査からデザインへの落とし込み、マーケティングまでの一連の流れをフレームワークにした「エスノヴィジョン」と名づけられた “価値創造プログラム” だ。

博報堂エスノヴィジョン開発責任者、田村 大氏

そのベースとなっているのは、社会学や文化人類学の領域で発展した手法である「エスノグラフィ」。インタビューや観察によるフィールドワークと、その調査記録や解釈をまとめた文書(民俗誌)を掛け合わせて、世界を理解していく方法である。近年になってコンピュータサイエンスの分野で注目されており、インテルをはじめとしたIT企業では、社会学者や人類学者とのコラボレーションが始まっているという。

エスノヴィジョンの開発責任者を務めた田村 大氏は、東京大学「i. school」のディレクターであり、博報堂イノベーション・ラボの上席研究員である。田村氏は講演で国内外のプロダクトやサービスでの成功事例を挙げ、テクノロジーの応用だけでなく、意味の変化を起こすことがイノベーションにとって重要だと述べた。

シュンペーターによるイノベーションの定義は「生産要素を全く新たな組み合わせで結合し、新たなビジネスを創造する」というもの。技術については触れていないのがポイントだ。

答えがあると考える定量調査と違い、エスノグラフィ調査に唯一の答えはないという。その例として、調査中のなにげない写真から何を導きだせるのかを解説。構造や因果関係への気づきが生まれる過程について振り返った。「エスノヴィジョン」は、生活者に対する深い洞察によって、顕在化されていないニーズを探り当て、それを掘り起こす試みだ。これまでのマーケット・リサーチが仮説検証型だとすると、フィールドワークから始まる「仮設発見型」だと言えるだろう。

サウスウエスト航空、バンク・オブ・アメリカなど、イノベーションを起こしたさまざまな事例を紹介。

ヘルスケアを手がける国内企業と、ヘルシービューティ分野における「アンチエイジング」をテーマに、エスノヴィジョンの共同研究を行った事例が興味深かった。実年齢から乖離した何らかの要素を持つ人を「エクストリームユーザー」と定義してヒアリングを行った結果、私たちのアイデンティティと年齢の関係について、意外な結論が導かれる内容だった。

イノベーションが生まれる条件について、議論を交わすトークセッションの出席者たち。

エスノグラフィとは何か。それは、固定観念の「レンズ」に頼らず、人々の生活への共棲や共感を通じて、時代の風景を描き出す企てのこと、と田村氏は言う。人々の体験の中に踏み込むことで、新しいビジネスを目指していく挑戦が始まっている。

ケーススタディによる「エスノヴィジョン」解説

博報堂が開発した「エスノヴィジョン」は、デザイン、ブランディング、ビジネスモデルを創出するためのトータルなソリューションである。この3つが欠けることなく、マーケティングまでカバーするのが特徴だ。展覧会ではAXISのプロダクトデザインチームと取り組んだ「メンズケアの新商品開発」のケーススタディについて展示、「エスノヴィジョンプロジェクト」のプログラムがどのように進行するかを紹介した。

1. 生活者理解
「エスノヴィジョンプロジェクト」は通常、3〜6カ月をかけて取り組まれる。最初に行うのはエスノグラフィ調査。新たな仮説を引き出すための「エクストリームユーザー」へのヒアリングでは、写真撮影やノートへの記述から対象者に迫っていく。その他、日記調査や有識者へのヒアリングなども行う。

エクストリームユーザーへのヒアリング結果は、このようなペーパーにまとめられる。ストーリーテリングの手法は、メンバー間で現場のリアリティを共有するのに効果的だ。

2. 機会発見
次のフェーズでは、調査内容をチーム全員で共有する。「ダウンロード」と呼ばれる作業は、ワークショップを通じた双方向の学習型情報共有のこと。続く「シンセシス(フレームワーク)」と呼ばれるプロセスで、さまざまな視点から抽出した情報の統合と分析を繰り返していく。こうして狙うべきビジネス機会が策定され、戦略プランニングを経た後、具体的なアイデアが開発される。

ワークショップではポストイットなどを駆使。観察の中から見えてきた個別の事実や気づきを整理、分析していく。

3. デザイン
ターゲットとなるユーザー像を “ペルソナ” として描き出し、そのユーザーが「どのような経験をするか」という視点から、体験シナリオを描いていく。絞り込んだアイデアは、ラピッド(簡易)プロトタイプで検証。ユーザビリティの検証などを行うためには、さらに精度の高いプロトタイプを制作する。

会場ではスケッチやプロトタイピングを行う作業現場を再現。プロダクトデザイナーたちによる試行錯誤の跡をそのままに見せた。

4. 顧客経験デザイン
「エスノヴィジョンプロジェクト」の最終ステップは、具体的な商品やサービスの提案だ。プロトタイプで設計したデザイン案を2Dと3Dの各レベルで提出。これらの作業は、クライアントチームとの協業体制で行われる。

メンズケアの新商品として提案されたプロトタイプ「スマートスライド」。ステーショナリー感覚で持ち運べるコンパクトなホルダーと、豊富なラインナップの超薄型カートリッジの組み合わせだ。

メンズケアにおける市場機会を捉え、形を持ったプロダクトデザインで披露した「エスノグラフィから生まれるプロダクトデザイン」展。紹介されたプログラムは、プロジェクトマネージャー、エスノグラファー、コピーライター、デザイナー、ストラテジスト……異なる職種のメンバーたちがチーム一体となって進める共創型開発だった。「イノベーションを生み出すツール」としてのエスノヴィジョン、来場者はその有効性を確認できたのではないだろうか。

本件に関するお問い合わせは、AXISデザインチーム(担当:山田)まで。