第7回
「茶道と共生デザイン」

Photo:Denmark Media Center / Photographer Nicolai Perjesi

筆者が茶道について語るのはおこがましいのだが、禅と茶道、共生デザイン、そしてデンマークに共通しているものとして挙げるとすれば「簡素」ではないかと思う。茶道は筆者が説明するまでもなく、禅とともに精神修養的な要素を強めて広まったが、禅も茶も不必要なものをそぎ落とし、極力単純化することで物事の本質に辿り着くことを目指している。共生デザインも最終的にはあまねくすべての人々に必要なソリューション、製品を開発するアプローチであるとすれば、簡素、単純化は重要な要素であるし、デンマークでは伝統的にシンプリシティ(簡素)がデザインの特徴となっている。デンマークデザインが禅や茶道の考え方を取り入れているわけではないが、自然と調和し共生する生活を送ってきた北欧の人々には日本人と似た精神を有していたとしても不思議ではない。

そして、茶道で有名な「和敬清寂(わけいせいじゃく)」にもデンマークとの共通性を見出すことができる。またそれは共生デザインの重要な構成要素でもある。調和の和は茶道でいう「もてなし」、互いに心を通わせることであるが、Hyggeでも前回説明した通り、この点は同じである。ただしここでいう和とは、単に人々が心を共有して和やかな時間を過ごすという意味を超えたものがある。和=Hyggeを基礎として、そこから導き出される現象こそが重要なのだと思う。

敬はどうであろうか? もちろん、これはお互いに敬い合うという意味であるが、敬を消極的な面から捉え、本来の意味まで遡ると、人は誰でも同様であり、特別な存在ではない、突き詰めると特別に価値ある人は誰もいない(つまり無我)ということになってしまう。デンマーク人には有名な「Law of Jante」(ヤンテの法則:下記参照)がある。詳しく説明はしないがデンマーク人が共有する精神的支柱である。驚くことにそこで謳われているのは敬の根本的な意味と同じである。

清と寂は少し難しいが、ここでもデンマークとの部分的な類似性を垣間見ることができる。例えば、清は文字のごとく清らかで、目に見えるだけでなく心の中の清らかさ、清廉潔白であるが、デンマークでは人間中心の教育が行われており、知識ではなく人間性の高い人物を育てることが教育方針として挙げられている。これはグルントヴィ(近代デンマーク精神の父と慕われ国民学校の創始者)の教育精神でもあり、デンマークでは政治家の賄賂がほとんどないといったことにも通じている。寂は本来極めて日本的な概念であり茶道の真髄そのものだ。一言で説明するとわび・さび・貧困で、世間的な富や社会的地位とは別の時代を超えたものの存在に価値を置くことである。

果たしてデンマークにこれと似た概念があるのかと疑念を持たれると思うのだが、ヤンテの法則を有しているデンマーク人には現在の資本主義社会では当たり前と思われている価値観が通用しない事例に事欠かない。わかり易い事例を示すとデンマーク人は事業で成功しても、これ見よがしに誇示することをしないので、誰が富裕層なのかわからないということがある。また築100年の家が新築より価値がある場合やロイヤルコペンハーゲンなどの陶磁器、ヤコブセンの椅子など、家具・調度品も新たに買い揃えるのではなく、祖父母や両親が使っていたものを受け継いで修理しながら大切に30年~50年使うのは当たり前である。

以上のようにデンマーク人は日本とは文化風習も異なる北の地で暮らしているにも関わらず「和敬清寂」と部分的にでも共通した考え方や概念を有しているのは、他の西欧諸国ではあまり見られない傾向であり、なおさら共生デザインを推進するベストパートナーになり得ると確信するのである。(文/中島健祐、デンマーク大使館 投資部門 部門長)

中島健祐/通信会社、コンサルティング会社を経てデンマーク大使館インベスト・イン・デンマークに参画。従来までのビジネスマッチングを中心とした投資支援から、プロジェクトベースによるコンサルティング支援、特にイノベーションを軸にした顧客の事業戦略、成長戦略、市場参入戦略等を支援する活動を展開している。デンマーク大使館のホームページはこちら