「GRACE&SHAME | マナー向上委員会」
ーーデザインのあしもとより

モラルをテーマにAXIS誌で連載をしていた僕だが、実は残念なことにそれほどきちんとした人間ではない。街を歩けば、最近何かと話題の「ながらスマホ」を頻繁にみかけるが、人にぶつからなければ良いかと思い、気付けば自分でも同じことをしてしまっている。人とのすれ違いや混雑した電車内では、ついイライラとしてしまうし、そんな小さい自分がつくづく嫌になる。世の中の人たちは、どれだけきちんとしているのだろうか。社会で生きていくうえでは他人とのコミュニケーションは避けては通れない。道路や鉄道などを利用する日常生活の中で起こる公共マナーの問題は、すれ違いや接触、自転車の乱暴運転、駐輪問題、路上喫煙、電車内や駅でのトラブルなど、挙げれば切りがない。

ここは自分への反省も込めて、もう一度公共のマナーやモラルについて考えるために、6月27日に開催した第7回「デザインのあしもと」では「GRACE&SHAME~マナー向上委員会」をテーマとし、街中で起きるさまざまなトラブルの原因と改善策について話し合った。

まず、街中で見かけるマナー違反だが、なぜ起きてしまうのだろうか。その原因はいろいろとあると思うが、僕が一つ思うのは、人それぞれ自分の頭の中に勝手なルールを持っていて、その勝手な論理で行動・判断をしてしまっている、ということだ。だから、他人とのちょっとしたルールのズレがトラブルを起こしてしまっているのではないだろうか。他人との関わりの中でズレが生じれば、自分の論理で「相手のルール違反」と判断する。逆に、他人から見ればルール違反なのに、自分のルールで間違っていないと判断したことは、気にも留めず平気でやってしまう。これは「利己的意識」と「利他的意識」との違いが原因だ。簡単に言えば「相手の立場に立って考えよう」という当たり前の言葉になってしまうが、大の大人がこの当たり前のことをできないのだから、なかなかややこしい。

具体的に言えば、例えばスマートフォン。今のご時世、スマホがなければ街を歩けない人も多いだろう。この小さなプロダクトにはいろいろなものが詰め込まれていて、自分一人の世界に入り込めてしまうから、気付かずに周囲の環境との間に見えない壁をつくってしまう。その結果、周りで何が起きても気にならなくなり、人にぶつかったりもしてしまう。この壁は、電車内の化粧やヘッドフォンの音漏れなどにも通じることで、人はさまざまな場面でパブリックな環境にも関わらず、この壁によってつくられた自分だけのルールで成立するプライベート空間を持ち歩いてしまう。プライベートな空間だから、当然相手の立場を考えることもしない。そして、こうした行動も恥と感じなくなってしまうのだ。

公共マナーの問題が顕著に現れてくる環境の1つに、駅や電車などの鉄道施設がある。今回は、JR 東日本で駅構内の環境や課題解決の研究開発を行なっている坂本圭司氏に、JR 東日本が掲げる「やさしい鉄道(駅)」を実現するうえでの公共マナーの考え方について話を伺った。同氏は、研究の一環で、特に交通弱者を対象とした将来の「やさしい鉄道(駅)」実現に向けたコンセプト策定を行なった。その過程で、目の前にある個々の問題解決や対応を積み上げていく「フォアキャスティング」という発想ではなく、まず理想的な鉄道や駅の将来像を掲げ、これを目指す中で公共マナーを含む個々の要素をどう積み上げていくかという「バックキャスティング」という発想を取ったという。

一例として紹介頂いたのは、リードユーザーとして高齢者や視覚・聴覚障害者、車椅子やベビーカー利用者などの交通弱者を対象に、将来の豊かなライフスタイルを想定しながら、個々の問題解決と具体的なイメージに落とし込んでいくというワークショップだ。この結果を受けて「やさしい鉄道(駅)三箇条」として、次の3つを設定している。

○誰もが区別無く利用できる場:「ために」ではなく「共に」という意識
○自分で自由に選択できる場:自分のペース・意志の尊重
○自然な共通意識が生まれる場:立場にとらわれず皆が平等に持つ共通意識

この中で特に興味深かったことは、交通弱者の多くは「特別扱い」を望んでおらず、「さりげない自然なコミュニケーション」を欲しているということだ。「自然な共通意識」を皆が持つことは、他者や周囲の環境を相当に「考える」ことが必要で、コミュニケーションの基本はこの「考える」ことにあると思う。考えることを放棄した個人の自分勝手な判断や、型にはめただけのコミュニケーションは、おそらく利己的に映ってしまうのだろう。相手に不快感を与えてしまっては、「空気が読めない」とか「コミュニケーション下手」などとレッテルを貼られるので、お互いが良い気持ちになることが大切なのだ。

「特別扱い」と捉えられてしまう行動も、本来は人助けという好意による「利他的」な行動のはずが、見方によっては「利己的」な行動に映ってしまうということだ。ただ、考えた末の利他的行動ならば、受ける側も相手をおもんばかって対応することが「平等」なのだとも思う。すべての人が同じ尺度で好意を判断しているわけではないからこうしたズレも発生する。まずは経験を重ねていくことで、自然と価値感を共有できるようにしていくことが大事なのだろう。このためにも、三箇条が実現された鉄道・駅の役割に期待が高まるところだ。

最後に、マナーやモラルを語る上で大切な言葉として紹介したのが「克己心」。新渡戸稲造の「武士道」にも出てくる言葉で、自らの欲を抑える心という意味である。この言葉には、何を「誇り」として何を「恥」とするか、という道徳観が含まれている。人は、自らの物言い、振る舞い、身なりについて「誇り」を意識し、また同時に「恥」を覚えることで、欲を抑え自らを律することができる。そして、「誇り」と「恥」を知ることは「美しさとは何か」を知ることにつながるのだと思う。その「美しさ」の価値感を共有することこそが、マナー違反を始めとする身近な社会問題を減らすことになるのではないかと思う。

ここまではどちらかというと個人の意識や精神の話に偏ったが、やはりルールを徹底するという意見も挙がった。「ルール違反には罰金」というかたちで、違反者に直接的に不利益を与えると言う方法だ。ただ、このやり方への懸念は、またすべてを型にはめただけの合理的な考え方に偏ってしまい、「考える」ということをしなくなるのではないかということだ。効果としては「ルール化」のほうが早いだろうが、将来の日本人の文化意識まで考えれば、「考える」ことを染みつかせる教育が必要ではないかと思う。

この話を始めるといつも教育の話に行き着いてしまうが、日本の教育を変えるという大きな理想は、僕を含めこの勉強会に参加するデザインに関わる立場の人たちには少し遠すぎる。ならば、もっと身近なところから「美しさ」を考え、その価値感を共有できるようにデザインの力で誘導することこそ、僕たちに求められていることではないだろうか。

今あるさまざまな問題を、瞬時に劇的に変えることは当然難しい。ただ、この考えを意識しながら少しずつでも変えていけたら、と思う。その変化には、デザインに携わる人たちが関わる機会は多いはずだし、担う役割も大きいと思う。せっかくなので、まずは「デザインのあしもと」でつながった仲間たちと一歩踏み出してみたいと思っている。(文/御代田和弘)

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