第1回
「SG50に実を結んだシンガポールのデザイン戦略」

昨年、建国50周年を迎え、今年は日本との外交関係樹立50周年となるシンガポール。3月8日〜20日にシンガポールデザインウィークを開催する同国のデザイン・建築の概況を、現地在住のジャーナリスト・葛西玲子氏がレポートします。

▲ 2015年、建国50年の記念日の様子


シンガポールは2015年に建国50周年を迎え、国を挙げたさまざまな行事が年間を通じて催され、「SG50」のスローガンの下、デザイン関連のイベントも国内外で開かれた。小さな都市国家にとっての50年がいかなる速度の発展の年月であったかは周知の通りだが、この特別な年に建国の父、リー・クアンユーを失ったことも、シンガポールの人々にとって一層強い想いを残す1年となった。

国家が文化振興を国策として「ルネッサンスシティ構想」を旗揚げしたのが2000年。このタイミングにシンガポールに拠点を移した筆者は、以降のデザイン・建築・アートにおけるインフラの変遷を目の当たりにしてきた。その驚異的ともいえる変化のスピードには驚くばかりだ。21世紀を迎え、経済偏重主義から“クリエイティブ国家”へと進化していこうと政府がさまざまなデザイン戦略を立案、牽引してきた15年間。その流れを振り返ってみたい。


「ルネッサンスシティ構想」が始動した2000年

シンガポールに移ってすぐ、2000年末に刊行された建築雑誌に「転換期の重層的建築文化」として、建国35年を経て価値の転換期を迎えている同国の建築デザインの状況をレポートした。同年7月に発表された2つの地下鉄駅の設計コンペで、地元の若手建築ユニットWOHAが各国の大御所たちを抑えて勝利したことを「シンガポール建築史に刻まれる歴史的瞬間」と書いた。その後の彼らの飛ぶ鳥を落とす勢いをずっと傍で小気味よく見てきたが、公共空間の設計に関わることができた幸運に加え、彼らの常にイノベーションを追求する建築への取り組みは海外での評価もひじょうに高く、押しも押されぬシンガポールを代表するアトリエ系設計者となった。

▲ 2000年、WOHAの建築プランが採用された地下鉄駅


同記事では、前年にスタイリッシュなデザイン誌『ish』(2009年に廃刊)を27歳で旗揚げしたケリー・チェンにも触れ、新しいカルチャーへの強い渇望を持つこの世代が、どう新しいデザインを生み出していくのかが興味深いと書いた。「同世代のクリエイターを世界に発信するのが自らの役目」と目を輝かせて話したケリーは、その後もエネルギッシュに活動し、今やすっかりクリエイティブ界の重鎮となった感がある。

90年後半の通貨危機の名残で、当時の経済は停滞していたが、政府主導の公共プロジェクトがカンフル材として次々と発表され、空港改修、新国立図書館や最高裁判所の建設といった巨大プロジェクトが著名設計者を起用して動いたのもこの時期だ。

なかでも野心的なのは200ヘクタールの先端実験都市「ワン・ノース」で、マスタープランナーには指名コンペでザハ・ハディドを選び、02年に20年越しの計画案が発表され、今も開発が進んでいる。科学技術、IT、クリエイティブ産業におけるR&Dのグローバル拠点とすることを目論み、業態に合わせた「バイオポリス」「フュージョノポリス」「メディアポリス」が建設されている。ルーカスフィルムがスタジオを開設したのもこの地だ。

▲ 2002年、マスタープランナーにザハ・ハディドを起用した「ワン・ノース」

▲ 現在のワン・ノース・エリア


デザインカウンシルとデザインアワードの発足

続く2003年には「デザインシンガポールカウンシル」が発足し、デザインを産業として推進する構想が描かれ、05年頃からは国家のクリエイティブデザイン戦略の数々が具体的な事業として始動した。

05年11月にはカウンシルの主導により、1回目の「シンガポールデザインフェスティバル」が実現。半月の間に134ものイベントが開かれ、全貌を把握しきれないほどの盛り上がりを見せた。このフェスティバルは、その後「シンガポールデザインウィーク」へと形態を変えていく。

また、デザイン戦略の指針を立てる諮問委員会には、デザイン各界の重鎮をご意見番として招き、フェスティバル会期中に日本からも伊東豊雄氏、喜多俊之氏が参加した。このとき、喜多氏が「一刻も早くシンガポールデザインを確立して世界に発信しなければダメだ!」と断言したのをよく覚えているが、氏によって率いられたプロダクトデザインワークショップに参加した地元の学生のひとりが、現在注目のクリエイターとなっていることは氏にとっても喜ばしいことだろう(彼のことは次回レポートで紹介する)。

政府が国内のデザイナーとその年に竣工・発表されたプロジェクトに対して与えるデザイン賞「プレジデントデザインアワード」の発足も2005年だ。10周年を経た現在、同アワードは国内で活動する建築・デザイン界の功績を国家レベルで評価する欠かせない恒例行事へと成長した。

▲ 2005年のデザインフェスティバルより。右から2人目が伊東豊雄氏、いちばん右が2003年にデザインカウンシルを立ち上げた、故ミルトン・タン氏


世界のスターアーキテクトと地元の若手建築家の競演

さらにこの年、政府は2つのカジノ付き総合リゾートの計画を発表した。それまでご法度だったカジノの誘致は大きな物議を醸したが、これが2010年のオープン以来、新しいシンガポールのアイコンとなったマリーナベイサンズである。ここに併設されたアートサイエンスミュージアムは、計画当初いったい何を展示するのかと疑問だったが、広々とした空間を生かした「イームズ展」「レオナル・ド・ダヴィンチ展」など、心に残るデザイン展が開催され、国立のミュージアムと併せて、10数年前には考えられなかったほどに、人々が各種の展覧会を楽しむことができるようになったのも大きな変化だろう。

06年9月には第1回の「シンガポール・アートビエンナーレ」が開かれ、アーティスティックディレクターの南條史生氏の采配の下、ミュージアムのみならず、市街中心地のショッピングストリート、教会やモスクといった公共施設にもインスタレーションを施し、見応えのある華々しいアート展となった。

▲ 数々のデザイン展が開かれているアートサイエンスミュージアム

▲ 2006年、1回目のシンガポールビエンナーレより。オーチャードロードにインスタレーションされた草間彌生の作品


そしてこの頃からシンガポールは空前の高級集合住宅不動産バブルの絶頂期に入っていく。投資を目的に、国内や近隣国に止まらず中東や中国の富裕層までを呼び込み、彼らの購買欲をそそるために、著名建築家を起用してコンドミニアムを超一流ブランド品として売る派手なマーケティング合戦が繰り広げられた。ダニエル・リベスキンド、ジャン・ヌーヴェル、OMA、伊東豊雄といったスターアーキテクトによる集合住宅が建ち並ぶ光景は、シンガポールの勢いを映し出している。

▲ コンドミニアムブームを象徴する、ダニエル・リベスキンドの「リフレクションズ」


さらに、国民の82%程度が居住する公団住宅(HDB)も進化を遂げている。2004年の販売時に圧倒的な話題を集めた市街地に建つ「ピナクル」は、新時代のデザイナーズ公団住宅と言えるものだ。国際建築設計コンペで選ばれた地元の若手ユニットArc Studioによる高層タワーは、今や地域のランドマークとなっている。

また、見逃せないのは、国内の若手建築家たちがコンドミニアムの設計で着々と実績を重ね、今やアジアの設計デザインのトレンドセッターとしての役割を果たしつつあることだ。シンガポールの狂騒的な不動産バブルは、08年後半、リーマンショックの余波であっという間にはじけたが、雇用政策や公共工事の促進といった政府の迅速な対応が功を奏して、10年にはそれ以上の好景気となり、前述のカジノ付きリゾートのオープンに国中が湧いた。

現在、国内ではすでに建ち尽くした感のあるブランド集合住宅だが、東南アジアのみならず、中国やインドのディベロッパーたちが自国の住宅建設ブームに乗ってシンガポールの設計デザインのトレンドを追ってきている。

▲ 50階建ての高層タワーがスカイブリッジでつながる新世代の公団住宅「ピナクル」


ナショナルデザインセンターの設立で加速するデザイン振興

2010年を過ぎ、文化とクリエイティビティの活性化を担う根本策として計画された教育機関が開校しはじめる。なかでも注目されたのは、マサチューセッツ工科大学と提携して、12年に開校したシンガポール工科デザイン大学(SUTD)。テクノロジーとデザインを融合させ、これからの時代に向けた実利的なソリューションの追究に重きを置くカリキュラムが特徴だ。

▲ 2012年開校、MITと提携するシンガポール工科デザイン大学(SUTD)


11年には現代アートの国際展示会「アートステージ」が始まり、以来、毎年の恒例イベントとなっている。これは海外企業誘致の中心機関である経済開発庁が、新興ビジネスとしてのアート活性プロジェクトの一環で後押ししたもので、その括りのなかで、アートギャラリー村「ギルマン・バラックス」が12年にオープンした。

14年初めには「ナショナルデザインセンター」が開館、オープニングに合わせて開催された「シンガポールデザインウィーク」では、パリのインテリアデザインの国際見本市「メゾン エ オブジェ」のアジアバージョンも初登場。デザインセンターはレンタルオフィス空間を併設し、シンガポール発のデザインをプロモートするという明確な目的意識を持った施設として、多くの展覧会やワークショップを開催している。特にここ数年は、プロダクトデザインの展示の機会が飛躍的に増えていることを感じる。

2015年は冒頭に記したように、SG50関連のデザイン展が開催され、古きよき時代に思いを馳せるちょっとした懐古ブームもありながら、大きな折り返し点に辿り着いたことを皆が自覚する1年となった。

▲ 2014年、デザインウイークのオープニングより


次回は、2015年のデザインイベントや竣工プロジェクトなどをピックアップしつつ、上記のような土壌から育ってきたシンガポールデザイナーの紹介、続いて3月に開催されるデザインウイークのラインアップを紹介する予定だ。



葛西玲子/東京生まれ。1995年に面出 薫率いるライティング プランナーズ アソシエーツ(LPA)に入社。照明探偵団事務局の責任者として文化イベントの企画運営などを担当。2000年よりシンガポールに出向し、現在LPA-S代表を務める。その傍ら、シンガポールをはじめとしたアジア各国の建築文化を中心としたレポートを各メディアに寄稿中。



*2015年のシンガポールデザインに関するレポートは、こちらをご覧ください。