SDW 3_シンガポール人デザイナーがキュレーションする日本ブランド

前回のvol.2で、日本メーカーとシンガポール人デザイナーによるプロジェクト「KYO」や「スーパーママ」について紹介したが、実はこうしたコラボレーションはさまざまなところで起きている。シンガポール人デザイナーは巧みな英語とフットワークで欧米のネットワークを上手に築き、世界各地のものづくりを見たうえで、戦略的に「メイド・イン・ジャパン」を活用しようとしているのだ。

▲ IFFS会場のARIAKEのブース。


新しいエキゾチシズムを打ち出した「ARIAKE(有明)」

今年のIFFS(シンガポール国際家具見本市)でお披露目された「ARIAKE(有明)」は、佐賀市の家具産地・諸富町を拠点とするメーカー2社(レグナテック、平田椅子製作所)が立ち上げた家具ブランド。シンガポールとニューヨークを拠点とするデザイナーのガブリエル・タン(Gabriel Tan)がディレクションし、北欧やスイス、日本のクリエイターをアサイン。約半年という短期間で、18アイテムの製品開発とブランディングを同時にやり遂げてしまう驚異的なプロジェクトだ。日本のメーカーも驚いたという集中力とスピード感は、優秀なシンガポール人デザイナーの武器でもある。

プロジェクトのきっかけは、過去2年IFFSに出展していた2社のブースにガブリエル・タンが訪れたこと。2社は「シンガポールをはじめアジア地域に展開していきたいが、マーケットの状況がわからず困っている。現地の目線で家具をデザインしてくれないか」とタンに声をかけた。タンはその後来日して工場を視察し、「2社で新しいブランドを立ち上げてはどうか」と提案。さらにほかのデザイナーも呼んで国際的なチームで取り組むことになった。

▲ デザイナーのガブリエル・タンとアートディレクターのマルティナ・ペリン。


タンが招いたメンバーは、ノルウェーのアンデシェン・アンド・ヴォル(Anderssen & Voll)、スウェーデンのスタファン・ホルム(Staffan Holm)、日本からは建築家の芦沢啓治。加えて、ブランディングのためにスイスのアートディレクターとフォトグラファーを呼んだ。昨年12月に全員が来日し、工場の職人とともに約1週間のワークショップを実施したのである。

▲ スタファン・ホルム「KUMIKO CABINETS」。

▲ スタファン・ホルム「DOVETAIL STOOL」。


タンは「フットボールチームみたいに、アイデアも、イメージも、価格帯までみんなでシェアして、互いに助け合った」と振り返る。「インターナショナルなメンバーだったから製品や売り方について、とにかくたくさん話し合って、それが開発の指針にもなりました」(タン)。

芦沢はワークショップの雰囲気についてこう説明する。「文字通り工場に缶詰状態(笑)。誰かがつくるとそれに触発されてみんなやりだす感じで、すごく集中して取り組んだ。最終的には全員が原寸のプロトタイプまで完成させていました」。

▲ 芦沢啓治「SAGYO TABLE」。


一方、アートディレクションを担当したマルティナ・ペリン(Martina Perrin)は、「家具とブランドが同時並行のようにできていき、互いにインスピレーションを与えあった」と語る。ペリンもワークショップに参加すると同時に、ブランドのアイデンティティを探るために諸富の歴史や自然環境をリサーチ。日本一の家具産地である福岡県大川市と佐賀県諸富に挟まれた入り江である有明海からブランド名を取り、漢字をモチーフにした軽やかなロゴやフォントをデザインした。

▲ マルティナ・ペリンによるARIAKEのロゴマーク。


2017年はじめに最終のプロトタイプが完成すると、撮影のためにペリンはフォトグラファーとともに再来日。「スイスの家具づくりとは進め方も文化も異なり、日本の職人たちとの交流は刺激的でした」と、プロモーション映像では「人」にフォーカスした。

▲ ARIAKEのブランドを伝えるビジュアルには職人たちも登場。


タンが「ハンドワークの要素」として取り入れた墨汁(塗料)や強化和紙の紐(背もたれ)など、日本的な素材の意外な用い方がARIAKEの個性につながっている。日本の外からの視線で完全にプロデュースされた日本の家具ブランドは、これまで見たことのない空気感を生み出し、「日本でもアジアでもない、新しいエキゾチシズム」という印象を与える。さて、これをどこで売っていくか。

タンは「自分は特に何もしていないよ、適材適所を心がけただけ」と謙遜して言うが、実は人選も戦略的。タンの広い人脈からノルウェーやスウェーデンの著名な家具デザイナーを招いたのは、アジアだけでなく、木製家具の大きなマーケットである北欧にも訴求したいという狙いだ。実際、ARIAKEは今後、ストックホルムでも発表の機会を持つそうで、どのように受け止められるのか楽しみだ。

▲ アンデシェン・アンド・ヴォルによる、背もたれに強化和紙を使った「SAGA CHAIR」。


プラナカン文化と小倉織のコラボ

次は、シンガポールと日本による数あるコラボレーションのなかでも、シンガポール独自の「プラナカン文化」をテーマにしたプロジェクトを紹介したい。プラナカンとはマレー語で「末裔」を意味し、15世紀後半から欧米の統治下にあったマレー半島を中心とする各地域に移住した中華系移民の子孫を指す。彼らは、中国やマレーなど多様な文化を取り込みながら、独自のプラナカン文化を築いてきた。

▲ プラナカン博物館に展示されているプラナカンの陶器。


実はプラナカンと日本の産業には関わりがある。例えば、ショップハウスと呼ばれる建築群を彩るカラフルなレリーフタイルは、英国やベルギー、ドイツ、そして日本から輸入されていた。日本では1910年代〜30年代くらいまで愛知の不二見焼や淡陶社などのメーカーが輸出しており、他国産より質が良いと評判で、特注生産にも対応していたという。シンガポールでは100年前から日本のものづくりを評価し、取り入れてきた歴史があるのだ。

▲ プラナカン建築のタイル(チャイナタウンのプラナカンタイル・ギャラリー「ASTER BY KYRA」にて)。


前置きが長くなったが、そんな時代を彷彿とさせるプロジェクトがある。日本とシンガポールを拠点に、日本の工芸を紹介するウェブマガジン「KOGEI STANDARD」(http://www.kogeistandard.com)を運営するクリエイティブ会社のHULS(ハルス)が、市内のビジュアルアーツセンターで日本の工芸と職人・工房を紹介する展覧会「Artisan Beyond Craft」を開催した。そこで目玉となったのは、プラナカンに着想を得て開発された福岡・小倉織のテキスタイルだ。

▲ ビジュアルアーツセンターで開催された「Artisan Beyond Craft」展。


立体感のあるたて縞を特徴とする木綿布の小倉織は、江戸時代初期から豊前小倉藩で織られ、袴や帯として珍重されていた。明治時代には男子学生服の生地として全国に広がったが、昭和初期に途絶えてしまった。その後、1984年にテキスタイルデザイナーの築城則子(ついき・のりこ)が、残されていた布片をもとに小倉織の技術を復元。現在は築城の手織りによる一点ものの作品と、機械織で手に取りやすい商品を揃えたブランド「縞縞 SHIMA-SHIMA」を展開している。

▲ 会場では「縞縞 SHIMA-SHIMA」も紹介されていた。


今回のコラボでは、そんな築城と、シンガポールのインテリアデザイナー、チュンヤオ・リム(Choon Yeow Lim)が交流。リサーチのなかで築城が特にインスピレーションを受けたというプラナカン文化の花模様をテーマに、新しい縞をデザインした。プラナカンの象徴とも言えるパステルカラーを中心に独自に新たな色糸を開発し、今までにない色合いの小倉織テキスタイル「Brilliance of Heritage」を制作したのである。

▲ 新しい小倉織を紹介するコーナー。Photo by HULS

▲ 新しく開発した色糸。

▲ シンガポールのインテリアデザイナー、チュンヤオ・リムが築城の工房を訪れた。Photo by HULS


会場では140cm幅のテキスタイル「Brilliance of Heritage」とともに、これを張ったラウンジチェア(飛騨産業)のプロトタイプや、取っ手をつけて風呂敷バッグにしたものなどが展示された。リムによると「まずテキスタイルを多くのシンガポール人に見てもらい、小倉織について知ってもらいたい。そのうえで他のプロダクトに展開する可能性もあるが、縞のデザインだけ抽出するのではなく、あくまでもテキスタイル製品として打ち出していきたい」と語った。まさに日本とシンガポールの文化をひとつに織り上げたようなプロジェクト、今後の展開に期待したい。(文・写真/今村玲子)

▲ 作家の妹で、日本で小倉織のブランド「縞縞 SHIMA-SHIMA」を展開する渡部英子社長と、インテリアデザイナーのリムによるトークイベントも行われた。



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→vol.4に続く(ナショナルデザインセンターで開催されたシンガポール建築の展覧会を取り上げます。国民の8割が暮らす公共住宅HDBとは?)