京都というフィルター 四季の色と陰影

平安遷都から1200年を超えた京都。京都は有名な神社・寺社・仏閣・貴重な史跡・古刹、昔から続いている伝統行事があり、来訪者は増え続けています。ここで生きてきた人々の感性がさまざまな芸術文化を生み、現在にまで至っているのか……と今の京都の街並みとここで暮らす人がつくる風景を眺めながら、遠い昔の人へ想いを馳せることがあります。 

京都は有名観光地や歴史ある伝統行事に限らず、ごく日常の中でもふとした美しいシーンに出会える街です。四季のコントラストがはっきりしているのも京都らしさのひとつ。移ろいゆく四季は京都で創作に励む作家にインスピレーションを与えます。また、京都を訪れる人びとも作品を通じて「日本らしさ」を体現するような四季の美しさに出会うことができる気がします。

今回は、京都にUターンした私が今一度京都という街を通して発見した、日本の四季と色についてご紹介したいと思います。

春 夏 秋

▲写真左より:佛光寺の桜、三室戸寺の蓮、善峯寺の紅葉

桜が咲く時期の曇りや霞んだ空のことを「花曇り」と言いますが、雲が多いにもかかわらず暗い印象はありません。むしろ春特有の淡く霞んだ雰囲気に桜の薄ピンク色が優しく映ります。

みずみずしくやわらかな若葉が一斉に芽吹き出すと、爽やかな風が新緑の香りを運んでくれます。芽吹いた木々も梅雨前には濃い緑色に落ち着き、5〜6月にかけて京都を囲む山々は緑のグラデーションが美しく生命力に溢れます。梅雨時には薄紫やブルーの紫陽花がしっとりした彩りを与えてくれ、初夏には蓮の葉上の玉のような水滴に夏の日差しを感じます。祇園祭の頃、梅雨明けとともに京都は暑さ厳しい夏を迎えます。

過ごしやすい季節になれば、どこからともなくふわりと香る金木犀。イチョウが黄色く色づくと秋の訪れです。冷え込みと共に鮮やかさを増しながら、赤や黄といった秋色が山から街へ下りてきます。美しい色彩とタッチで描かれた絵を見ているようです。

盆地の京都は、高温多湿の夏と底冷えする厳しい冬が特徴です。
この極端な暑さ寒さは暮らしの中で大変な面もありますが、春や秋の上品で華やかな色彩を際立たせているのではないでしょうか。

冬 

色彩が少なくなるグレイッシュな季節ですが、冬の空気が冴えた感覚を呼び覚ましてくれることがあります。数年前の冬、忘れられない美しい発見がありました。雪舟が作庭したと伝えられる東福寺芬陀院。光も弱くなりだした夕暮れ時、ほの暗い南庭でのことです。明るさの変化をより感じながら刻々と変化するお庭を見ていると、草木や枯山水のディティールがじわじわとよく見えてきたのです。

さらに奥の間に目をやると、わずかに届く太陽光が畳の目を美しく浮かび上がらせていました。内と外を区切っているようで、実は室内へ入る光をやわらげ、おだやかに空間をつないでいる障子。柔らかな光と影のグラデーションが、密度高く規則的に織り込まれたいぐさの凹凸と調和し、なんともシンプルで美しいシーンでした。

暗さのなかに

美しい畳の表情から陰影という言葉がよぎり、ふと思いました。
昔から日本人は、暗さの中に光と影が織りなす色味・質感・時の移ろいを感知し、静かに美を見つけるのだと。繊細な感性と眼。ひとり暗い空間に置かれると得体の知れない気配まで感じとってしまうほどです。

翻って、今やいつも手にはスマートフォン。
明度・彩度も自ら調整、液晶画面をどんどんスクロールし短時間で膨大な情報を目にできます。スマホにPCと、朝から晩まで明るくクリアな世界に見入る目と画面の距離はまさに目と鼻の先。明るい画面を見ている時間の長いこと。それは自然の光と離れた日常のなかにいる自分そのものです。今、暗い空間をただじっと見つめて、自分は何かを感じとれる眼を持っているのかと、ふと不安に思います。

京都の四季というフィルターを通して出会った色と陰影。「あなたのレンズが曇っていたら、フィルターは役に立たないのよ」と京都の冬に気づかされるのです。

▲修学院離宮 窮邃亭

次回は、京都というフィルターを通して染や織にあらわれる色にフォーカスしてみたいと思います。