メルボルン・フィッツロイに見るローカルマーケットのブランディング

▲MeijerのTim Meyerさんがクリエイティブディレクションを手がけたTHE FITZROY MILLS MARKETのビジュアル。野菜やフルーツのイラストは100以上のパターンが用意されている。©︎Meijer

メルボルンを訪れる方におすすめの食材マーケットというのは幾つかあり、メジャーなものを3つ挙げるとすれば、南半球最大規模と言われるクイーンビクトリアマーケット、地元住民に愛されるサウスメルボルンマーケット、おしゃれなグロサリーなどが充実し、土地柄か価格帯が少しアッパーなプラーンマーケットがある。しかし、ここでは2017年の11月にスタートした「フィッツロイミルズマーケット」をブランディングデザインという視点から紹介したい。同マーケットは先述の3大マーケットとは異なり、土曜日のみ開催されるローカルマーケットだ。フィッツロイは、ギャラリーやアンティーク家具店、個性ある小さなレストランが立ち並び、クリエイターたちが数多く事務所を構えるエリア。日本で言うならば青山界隈や奥渋谷のような気配を持つ街だ。

フィッツロイミルズマーケットを知ったきっかけは、ある1枚のイラストを用いた色鮮やかな告知だった。ソーシャルメディア上での情報発信が存在感を増す昨今だが、目を引くキービジュアルはどのように生み出されたのだろうか。同マーケットのブランディングを手がけたデザインスタジオ「Meijer」を率いるクリエイティブディレクターのTim Meyerさんに話を聞いた。

▲フィッツロイミルズマーケットの様子。屋外のテントにはベーカリーやグロサリーショップなどが並ぶ

▲旬の野菜や、その調理法を生産者に聞いたうえで必要な分量だけ買えることもマーケットの魅力

気軽に歩いていけるフードマーケットをつくろう

「フィッツロイミルズというのは、フィッツロイで営まれていた繊維会社の名前に由来しているんだ。オーナーの一家が縫製工場を閉鎖した後に、2014年から工場の建物は駐車場として利用されていたが、フィッツロイの中心部という好立地のため、不定期でライブイベントやバーなどに利用されていた。その頃、経営者だった父親の体調がすぐれず、家族が口にする食材に気を使うようになったことから、彼らはフィッツロイで小さなフードマーケットを開催しよう、という考えに至った」。

そこで、ブランディングの相談を受けたのが、フィッツロイに事務所を構え、企業やイベントのブランディングに実績のあるMeijerだった。「企業のブランディングのように堅苦しい手続きはなく、まずは工場オーナーの子息であるChris、Ari、Aphroditeという3兄弟との気さくな会話からブランドイメージを膨らませていった。フレンドリー、フレッシュ、ヘルシー、カラフル、といったキーワードに加え、とにかく気軽に入りやすいことがマーケットとして掲げるメインコンセプトになった」。

▲フィッツロイに事務所を構え、自身も毎週フィッツロイミルズマーケットで買い物している、と話すMeijerのクリエイティブディレクター、Tim Meyerさん。写真手前のブランドブックには、ポスターや告知などの平面的なビジュアルアイデンティティのルールから、建物に設置する各種サインや、コーヒースタンドの外観デザインなど建築的な要素までがまとめられている

ブランド構築にはリサーチが欠かせないと語るTimは、依頼を受けてから1年弱ほどかけて入念にリサーチとデザインを重ねて、厚さ3センチほどもあるブランドブックをつくり上げた。「このエリアにはスーパーマーケットはあるが、市場で買い物したければ、クルマに乗ってシティやリッチモンドに行くしかなかった。だから、”フィッツロイで気軽に歩いていけるフードマーケット”というアイデアを聞いて、素敵なアイデアだと思ったよ」。近隣で土日に開催される、アクセサリーや雑貨を扱うクラフトマーケットがフィッツロイを訪れる目的として定着しており、タイミングも良かったという。

▲マーケットには、コーヒースタンドから、野菜、卵、肉類などの食材、ムール貝やサンドイッチ店のブースまで個性ある出展者が揃い、場内のテーブルで食事することもできる

写真ではなくイラストを用い、ロゴはオリジナルフォントで

具体的なビジュアルの方向性については、「他のマーケットを調査すると、たいていは写真をキービジュアルにしていた。新鮮な食材や生産者たちの写真だ。それらは確かに効果的だが、僕らのマーケットを差別化するために、写真を使わないことにしたんだ」。

この大きな決断を支えるのが、Timが書き起こした100以上の野菜やフルーツのイラストだ。また、ブランディングのもうひとつの中核とも言える、フィッツロイミルズのロゴに使われたオリジナルフォント(書体)は、野菜や果物の段ボール箱から想起されたものだ。

▲ゲート上にTimが手がけたサインが新設されたフィッツロイミルズの外観。平日はコインパーキングとして使われている

「どこの市場にも箱が積んであるよね。そんなイメージから箱のような四角形を組み合わせたフォントを考えた。また、リサーチ中に、バナナやリンゴの段ボールに印刷されているグラフィックはとても味わいがあって親しみが持てることにあらためて気づいたんだ。そこで、Sなど幾つかの文字は、野菜箱から見つけたアルファベットをアレンジしたもので、一部にはロシア文字の角ばったディテールを取り入れたものもある。僕らのゴールは”フレンドリーな市場”の表現なので、堅苦しくなく、かつ、完璧ではないフォルムにすることに注意をしながら仕上げていった」とそのプロセスを振り返る。Timがデザインした「THE FITZROY MILLS」という新たなロゴは、建物入り口の頭上にスチールの切り文字で力強く掲げられている。

また、このオリジナルフォントを用いて、マーケットの個性を表すステイトメントが用意された。例えば、「CUT OUT THE MIDDLE MAN/中間流通業者を省いて(生産者から直接買おう)」「FIELD TO TABLE」といった、フィッツロイミルズマーケットが消費者に伝えたいメッセージだ。時として強い言葉もあるが、やさしいニュアンスを持つフォントが言葉の印象を和らげている。

▲「CUT OUT THE MIDDLE MAN」というメッセージが目を引くポスター。©︎Meijer

企業ブランディングとは違う、スピードとハンドリング

そして、興味深いのが彼らの情報発信の頻度と、デザインとの連携だ。毎週、マーケット開催の情報がウェブサイトやSNSを通してリリースされるが、そのビジュアルはユーモアに溢れている。ある猛暑日が続いた週末に、生産者らの都合でマーケットが急遽延期されたことがあったが、休業を伝えるのは、暑さでとろけてしまったイチゴのポスター、という具合だ。

▲猛暑日が続いたために、とろけたイチゴのイラストを使って休業を伝える告知。イラストや文字の配置された罫線は、野菜の段ボール箱などに印刷されている生産者や産地、賞味期限を記載する欄の形状から引用したという。各種のポスターや告知にこのフレーム形状は使われている。©︎Meijer

「開業に向けて100以上のパターンを用意したが、新しいキャンペーンは随時開催されるから、結局のところ、毎週何らかのデザインを更新している。旬の野菜や果物は季節ごとに変わるからね」とTim。こうした日々の更新スピードと細やかなハンドリングが、マニュアル通りに各タッチポイントのデザインを展開していく、いわゆる企業的なブランディングとの違いを生み出しているように感じる。取材の最後に、「これは今週末のためにつくったフリーコーヒーのビジュアルだよ」と最新の自信作をいたずらっぽく見せてくれた。ブランドをつかさどるTim自身がオーナーと一緒に楽しんでいる姿勢が、クリエイティブな街の小さなローカルマーケット、というアイデンティティの骨格を支えている。End

▲フリーコーヒーの特典を伝えるビジュアル。©︎Meijer