VRが持つ可能性を疑うあなたへ贈る一冊
ジェレミー・ベイレンソン 著「VRは脳をどう変えるか?仮想現実の心理学」

神様がもしひとつだけ願いを叶えてくれるなら、スポーツ選手になってみたい。ただし「超一流の」という条件つきだ。

きっかけはスピードスケートの清水宏保選手について書かれたノンフィクション(「神の肉体 清水宏保」吉井妙子)を読んだことだった。清水選手といえば、長野五輪での金メダルをはじめ数々の金字塔を打ち立てた偉大なスケーターだ。引退後はキャスターに転身し、今年の平昌五輪ではわかりやすいうえに深みのある見事な解説が話題になったことも記憶に新しい。

現役時代の清水選手にはさまざまな逸話がある。

たとえばある時、新しいスケート靴のブレード(刃)の氷を捕らえる部分が以前のものと違うと清水選手が指摘した。スタッフが計測しても誤差が発見できなかったため、より精密な三次元測定器で測ったところ、10ミクロン(0.01mm)のズレが見つかったという。

これほどの研ぎ澄まされた感覚を持つ選手だ。その集中力も並外れている。特に凄いのは、光のラインのエピソードである。競技中、最高のパフォーマンスが発揮できた時は、周囲の音が消え、目の前に滑るべき光のラインが現れるという。

これはZONEと呼ばれる現象だ。超一流の選手でこのような特殊な経験について証言する人物は多い。たとえばF1レーサーの故アイルトン・セナ選手は「神を見た」と表現した。走行中に眩いばかりの光に包まれ、レース全体を支配しているような感覚になったというのだ。

彼らは気の遠くなるような鍛錬の末に普通の人が決して見ることが出来ない世界を見る能力を手にいれた、いわば特別な人々だ。凡人には絶対に手の届かない境地に達した選ばれし人間といえるだろう。だからこそ死ぬまでにいちどでいいからその超一流にだけに許された世界とやらを体験してみたいのだ。

「ああ、そう。だったら体験してみる?」

こちらが真面目に話をしている時に、もし目の前にこんな風に気軽に誘ってくる人間が現れたとしたら、詐欺師だと思うのが普通だ。だが、その人物が「ジェレミー・ベイレンソン」だと名乗ったら話は別だろう。彼の話であれば絶対に耳を傾けた方がいい。

スタンフォード大学教授のジェレミー・ベイレンソンは、VR(バーチャル・リアリティ)研究の第一人者として知られる。フェイスブックやグーグルなどの巨大テック企業やアメリカ政府関係者などが助言を求めて門前市を成すような人物だ。彼の著作の初めての邦訳「VRは脳をどう変えるか?仮想現実の心理学」倉田幸信・訳(文藝春秋)は、すべてのクリエイターが知っておくべき未来について書かれた、きわめて重要な一冊である。

「VR?どうせゲームとか映像メディアの話でしょ」と思っている人がいたら、ただちに認識を改めた方がいい。VRはすでにさまざまな分野で応用の試みが始まっており、次々と驚くべき成果が報告されているからだ。

その効果について知りたければ、たとえばNFL(全米フットボール連盟)のトップ選手に訊いてみればいい。アメフトは膨大な量の作戦を頭に詰め込んで試合に臨まなければならない複雑なスポーツだが、HMD(ヘッドマウントディスプレイ)を着け、あらゆる状況での練習を、まるで実際の試合に臨んでいるかのように繰り返すことで、チームのパフォーマンスのレベルが信じられないほど向上したという。プレイの向上は“経験”の積み重ねによってもたらされるが、あるトップ選手は、VRトレーニングが与えてくれるのは、この“経験”そのものだと絶賛している。

VRがもたらすインパクトを考える上で、“経験”は重要なキーワードだ。

著者の研究室を訪れたフェイスブックのマーク・ザッカーバーグも、最先端のVRを実際に体験してその臨場感に圧倒されているが、HMDを装着し、現実の世界と見紛うような仮想空間に没入することで、私たちはリアルな世界で手に入れるのとほとんど変わらない“経験”を手にするようなのだ。これはこれまで人類が考案したどんなメディアも成し得なかったことだ。

VRのとてつもない可能性は、医療現場での例をあげると、より実感してもらえるかもしれない。たとえば重度のやけどの治療は、患者に凄まじい痛みをもたらしどんな鎮痛剤も効かないほど過酷なものだが、治療中にVRのゲーム(「スノー・ワールド」という雪と氷の世界を舞台にしたゲーム)をプレイさせてみると、多くの患者が痛みを忘れるほど没頭したという。

もちろん新しい技術の常で、VRにも問題がないわけではない。たとえばVRで暴力的なシーンを見ると、さまざまなマイナスの影響があることがわかっている。悪用しようと思えば、簡単に人をだますことだって可能だ。なにしろVRで体験することはどこまでもリアルに近いのだから。プロパカンダや情報操作に悪用される危険性は十分にある。

著者は本書の中でVRの倫理的側面についてたびたび言及しているが、それはそれだけ、このテクノロジーが社会にもたらすインパクトが大きいからだろう。

でも見方を変えれば、それはとてつもなくエキサイティングな時代の到来でもある。個人的にはジャーナリズムやエンターテイメントの分野でまったく新しいコンテンツが生み出せるのではないかとワクワクしている。

想像してみてほしい。超一流のスポーツ選手が目にしている光景を誰もが味わえる世界を。その体験がその人にどんなインパクトをもたらすかを。

「VRによって人生観が変わった」そんな言葉が当たり前のように交わされる世界の入り口に、ぼくたちはもうすでに立っているのだ。End