バーニングマンーー砂漠の街にクリエイターが集う理由。
2年目バーナーがレポート

▲ブラックロック・シティの市街地にあたるキャンプ会場。ストリートには信号も街灯もなく、夜、人々がLEDを身体や自転車に巻きつけるのは装飾もあるが事故防止の意味が大きい。ストリート名はないが、ところどころに数字のサインがあり、参加者は自分のキャンプ地を他者に伝える際、4時30分&Dのように時刻を用いるのが面白い。バーニングマンの起源は1986年サンフランシスコのベイカービーチで、マンの彫像を燃やした小さなイベントがきっかけ。

毎年8月から9月にかけてアメリカ・ネバダ州ブラックロック砂漠で開かれるイベント「バーニングマン」は、決して流行りのカルチャーフェスティバルではない。会場には電気、ガス、上下水道がなく、電波も入りにくいオフ・ザ・グリッドの状態。商業活動も禁じられているため、参加者は助け合ってコミュニティを形成しなければならない。今年、急逝した設立者のラリー・ハーベイの言葉をもとに、この理想郷を考察する。

▲青白く光る2018年のマン像。色は病室に横たわっていたときのハーベイの言葉から。「スカイブルーは彼の好きな色というだけでなく、自由を表す」とツアーのガイドが説明した。

パーティー、アート、コミュニティ

「バーニングマン」の設立者のひとりであるラリー・ハーベイに会ったのは、2015年の南アフリカのカンファレンス「デザインインダバ」だった。彼のスピーチは、自由奔放な芸術家集団としてのボヘミアンの思想に根ざしていた。

翌年、筆者が初めてバーニングマンに参加したときの衝撃は、過去にフェイスブックCEOが開いたような派手なパーティーや、毎年このイベントのために制作・展示されるアート作品から受けたものではなかった。広い砂漠会場の移動には自転車を用いるが、硬い地面の走行で筋肉痛になり、喉はカラカラ、目は砂埃で開けられなくなった。そのなかで台車を引いて冷たい水やビールを配ったり、目薬までくれる人がいる。見知らぬ人の好意に感激しつつも、それ以上に驚いたのは彼らがひじょうに嬉しそうだったことだ。安くはない参加費を払ってゆっくりホリデーに来たというよりは、初めて出会う人のために何かをしたいと考えている。その姿勢が何より新鮮に映った。

バーニングマンにはどんな人でも受け入れる「ラディカル・インクルージョン」、鑑賞ではなく社会参加に来たという意識を持てと説く「パーティシペーション」といった10カ条の理念が存在し、バーナー(バーニングマンの参加者)にはこれに基づく行動が推奨される。今年2回目のバーナーとなった筆者には、ベテラン・バーナーの写真家スコット・ロンドンの言葉が印象に残る。「人々は1年目にパーティー、2年目にアート、3年目からコミュニティのためにやって来る」。この言葉から年初に急逝したハーベイのスピーチが少しずつ蘇った。

▲バーナーの足はもっぱら自転車。アートカーやミュータント・ヴィークルと呼ばれる奇抜なデコカーも多く、巨大スピーカーを搭載してパーティーを盛り上げる。「少し危険な要素と、これは変という両方の感覚を持ち合わせるアートに興味がある」というのは故ハーベイの言葉。

協業から生まれるアート

「プラーヤには仲介者など存在しない。人々の体験こそがアートの文脈になるため、私たちは『マン』の意味さえ説明しない。バーニングマンのアートは社会的なものだ。人々とプラーヤを結びつけ、コミュニティがその創造と資金集めを行う。私たちはパブリックアートの新しいスタンダードを生み出したのだ」(ハーベイ)。

プラーヤとは塩類平原を意味するが、バーニングマンでは核となる展示「マン」を中心としたエリアを指す。その中心から弧を描くようにブラックロック・シティの市街地、つまりキャンプ会場が広がり、8日間の会期中には約7 万人が生活する。プラーヤの中には300を超えるアート作品が存在するが、バーニングマンから資金援助を受けられるのはそのうち75。支援も全額ではないため、アーティストはクラウドファンディングやパトロンを見つけて出展する。

ハーベイの言う仲介者とは、キュレーターや批評家を意味するのだろう。実際にアート作品には解説はおろかアーティスト名や作品名すら書かれていない。少しでも作品の背景を知りたい人は、「アート・ディスカバリー・バイク・ツアー」に参加すればいい。ボランティアのガイドを務めるのは、アーティストの支援機関「ARTery」だ。

彼らは決してバーナーの感性を刺激するようなことは言わないが、理解するためのヒントは教えてくれる。例えば、トタンのほったて小屋にしか見えない作品は、壁に無数の穴が空いた小学校の校舎で、内部には子どもの絵と銃弾が刺さっていた。やがて、ニュースで見た学校狙撃というアメリカ社会の闇がテーマになっていると気づくのだ(作品名は「希望と恐怖の小さな校舎」)。

「バーナーたちは、勝手に作品に『ベルギーのワッフル』とか、『シシカカブ』といったニックネームをつけて、広いプラーヤの目印にしている」と笑うガイド。続いて、「『折り紙アート』を見に行こう」という彼女の掛け声のもと、参加者はいっせいに自転車のペダルを漕ぐ。正式名称は「レイディアルミア」。センサーによって、折り紙の花や気泡のような部分が閉じたり開いたりする様は、まるで過酷な砂漠に生きるバクテリアがうごめいているように映る。

われわれのツアーグループを見つけたふたりのアーティストが、ゆっくりと近寄ってきた。高温で湿気のない気候のなかで、マテリアルが縮んでしまい、モーターが動かなくなった苦労談を語ったが、「バーニングマンで作品を発表する際、最も素晴らしいのは、大勢の人々が作品制作を無償で手助けしてくれること。通常は協力者を集めることが最も大変だから」と漏らした。このアーティストはIDEOのデザインディレクターだ。また、真夜中のドローンショーはオランダのスタジオ・ドリフトの作品だった。どちらも名前を知ったのは帰宅後だったように、ここではアーティストの名前や地位さえ意味を持たない。

▲フォールドハウスはアート、テクノロジー、エンジニアリングと人々をつなげることを目的にサンフランシスコ湾岸で活躍するアーティスト集団。メンバーのほとんどはIDEOに所属する。バーニングマンへの参加は今年の「レイディアルミア」で3回目。2年前に脚光を浴びた作品「シュルーメン・ルメン」は現在スミソニアン博物館で展示されている。

与える喜びがコミュニティを生む

「ボヘミアンはひじょうに寛大だ。常に会う人々にギフトを与えながら生きている。私はこの精神を用いて街をつくれないかと考えた。ギフトはお金の代わりでもなければ、相手に見返りを求めるものでもない。ギフトは無条件の価値を持つものだから」(ハーベイ)。

バーニングマンでの数々のパーティーはソーシャルメディアを介して広く知られているが、これもバーナーたちが皆に楽しんでもらうことを目的に自主的に開いている。キャンプごとには私設クラブやバーは数えきれないほどあり、一杯飲み屋やラーメン屋、新宿のゴールデン街のようなストリートまで存在する。ミュージシャンならば夜はジャズクラブで演奏し、昼は音楽教室を開く。マッサージを施したり、自転車の修理をしてくれる人さえいる。

日中、「酒バー」を開いた筆者のキャンプも来客が絶えなかった。老若男女、思い思いのコスチュームをまとったり、裸同然の人たちが現れるが、その姿で人を判断することはない。カウンター越しに世界中の見知らぬ人々と四方山話をしていると、そのほとんどはカリフォルニアから来ていると気づく。フレンドリーな気質で知られる彼らだが、「日頃は仕事が忙しく、仕事以外の人たちとの交流はない。ここは普段知り合えない人と出会うことができ貴重な機会」と口々に語った。

一杯飲んで次へ向かう人もいれば、1時間以上談笑する人もいる。大概は手ぶらでやって来て、お礼を言いハグをして去っていくが、おつまみやアイスを持参したり、手づくりのネックレスやキーホルダーをくれる人もいる。あるアーティストはよほど楽しかったのか、自分のキャンプから写真家を連れて、花で飾った等身大の巨大な額縁を担いで戻ってきた。ポラロイドで私たちのポートレートを撮影して手渡すと、颯爽と去っていったのだ。

こうしたギフト行為はキャンプ会場だけにとどまらない。早朝にプラーヤを自転車で走ると、先ほどまでレイブを楽しんでいたとおぼしき若者たちがキャンプ会場から調理道具やテーブルを担いで集まり、コーヒーやチーズトーストを振る舞っていた。人は誰かの役に立ちたいと思うものだが、ギフトの連鎖によって人々にコミュニティ意識が生まれ、それがブラックロック・シティという期間限定の街を形成しているのだろう。

▲デンマークの建築スタジオBIGのパートナー、ジェイコブ・ランゲのデザインによる「オーブ」は、ブラックロック・シティをミラー状の球体に反射させるというコンセプトだったが、すぐ砂まみれとなってしまった。バーナーはそんな経緯に関係なく、オーブの下でコンサートやレイブパーティーを繰り広げた。

「今」の感性に忠実に生きる

「人々の信仰には興味がない。私の関心は人々の行動だけだ。何を感じ、どう行動したのか、それこそが世界を結束させる」(ハーベイ)。

「マン」と並んで象徴的な場所「テンプル」は、モーターバイクで事故死したバーニングマンのクルーを弔うためにつくられたのがきっかけ。コミュニティにはスピリチュアルな場が必要だとハーベイは考えたのだ。

建築家は竣工時の空間を好むものだが、テンプルは建物の完成と同時に参加者のための場所となる。木材を組み合わせてできた内部に足を踏み入れると、家族や愛する人の遺影やスーツ、ネクタイといった遺品が別れの言葉とともに所狭しと貼り付けられていた。黙祷する人、すすり泣く人。テンプルにはひじょうに厳かな空気が溢れている。

見ず知らずの故人に宛てた言葉を読んでいると、どこか親近感が湧いてくる。ふと気づくと、建物の中央に男性が座り込み、無我夢中に何かを書き綴っていた。肩越しに愛犬らしきハスキーと一緒の写真を見たとき、反射的に彼の肩に手を置き、「あなたの犬は、あなたと一緒にいて幸せだったと思う」と普段なら言わないような言葉が口をついた。「ありがとう、親友だったんだ」と言う彼の目も涙で溢れていた。見知らぬ者同士が、一瞬の体験で心通じ合うことができるとはこういうことを指すのかもしれない。

▲ロンドンで活動するフランス人建築家、アルテュール・マムマニによるテンプル「ギャラクシア」。木材でできた20のトラスが螺旋状に空に向かって伸びていく複雑な構造を砂漠で実現するのは難しく建設は遅れたが、8日間の会期中はその美しさに人々の心が奪われた。

テンプルはイベント最終日に燃やされる。象徴のマンを燃やす夜は、ダンサーや花火を伴った祭りのような雰囲気だが、テンプルのそれは厳かだ。今年はハーベイの追悼として小さな祭壇が設けられ、セレモニーとともに燃やされた。ハレルヤの代わりに、彼の名前をもじって「ラレルヤ」と叫ぶ人たち。最後は火を囲んで、人々は楽団と
ともに歩いた。

ハーベイはコワークやコクリエイトといった昨今の流行り言葉を使わずに、ボヘミアンのコミュニティをつくり出し、建築家たちが説く実験的なアーバンプラニングを実践している。会期後に知ったことだが、バーニングマンで作品を発表したいと考えているアーティストやクリエイターは意外にも多い。彼らがつくり出す作品とともに、どのような役割をコミュニティのなかで担うのかに想像を巡らせた。End

ーーデザイン誌「AXIS」196号より、一部加筆して転載。