ハーグ王立芸術アカデミーが望む
ノンリニアな社会に生きるデザイナーの可能性

©Roel Backaert

遠くない将来、グラフィックデザイナーの仕事はAIに取って代わられるかもしれない。これからの社会に必要とされる、テクノロジーに代替不可能なデザイナーの職能とは何か?ハーグ王立芸術アカデミーのノンリニア・ナラティブに集うのはそんな問題意識を持った学生たちだ。

(文/樋口 歩)




現代社会は「非線形」

デザインは問題解決の手段と言われることも多いが、現代社会が抱える問題はポスターを1枚デザインして解決できるようなものではない。人工知能、移民・難民問題、遺伝子工学、持続可能なエネルギーの供給や核廃棄問題……このような研究テーマにデザイナーとして取り組むことができるのが、2017年にオランダのハーグ王立芸術アカデミーに新設された修士コース、ノンリニア・ナラティブ(以下NLN)だ。

NLNを立ち上げたのはグラフィックデザイナーのニールス・シュレイダーとローシェ・クラップ。ふたりは13年から同校のグラフィックデザイン科(学士コース)の学部長を務めており、それまで職業訓練校の保守的な伝統が色濃く残っていた同校のカリキュラムを、テクノロジー教育を積極的に取り入れることで大胆に改革した。そんなふたりにとって新たな修士コースの設立は次のステップとして自然な流れだったという。

シュレイダーは語る。「ノンリニア・ナラティブ(非線形の物語)と聞くと、多くの人は映画『メメント』のような、時系列を無視したシークエンスを思い浮かべます。しかしそれは出来事の順番をシャッフルしただけで、結局のところ直線的な物語ですよね。今日のグローバル化した世界では、さまざまな情報の断片がそこら中に点在しています。多方面にわたるソースにアクセスし、それらノンリニアな情報をつなげて筋の通った物語(ナラティブ)をつくることが、未来のデザイナーに求められているのです」。

▲ノンリニア・ナラティブでは、複雑な社会問題を審査し意味のある物語として幅広い聴衆に伝えることができるツールや戦術を学ぶことができる。キービジュアルのデザインはジル・デ・ブロック。

▲ノンリニア・ナラティブのチェアマンであるローシェ・クラップ(左)とニールス・シュレイダー。©Anna Kieblesz




ジャーナリズムとテクノロジーの横断

ビックデータ時代において多岐の学問領域にまたがるテーマを追求するためには、柔軟かつ適切なリサーチ・分析能力が必要になる。そのためNLNではジャーナリズムとテクノロジー教育の双方に力を入れている。講師陣には、シリアの難民問題にアートとデザインの領域から取り組むローレン・アレクサンダーや、存在論的な観点から機械学習について研究しているラモン・アマロなど、分野横断的に活躍するユニークな顔ぶれが揃う。

修士1年目のカリキュラムはワークショップが中心だ。初年度のキックオフとして行われたプログラミングのワークショップは「ダーク・フィクション」と題され、単にプログラミングのスキルを学ぶだけでなく、ウェブやシステムの裏側に潜むさまざまな思惑についても考察が促された。来年度は映像制作のワークショップやアフロ・フューチャリズム(アフリカ由来の黒人文化の未来的、宇宙的表現志向)の講義が企画されている。修士2年目ではそれぞれの研究対象を決定し、担当教師の指導のもと最終プロジェクトとしてまとめていくことになる。

初年度の生徒数は7人だが、18年度以降は毎年14人程度を受け入れていく予定だ。今までのところグラフィックデザインを学んできた生徒が多いが、今後はジャーナリズムや建築など多様な経歴を持つ生徒を迎えたいという。

▲2018年1月のオープンデイの展示風景。©Roel Backaert




グラフィックデザインの枠組みを超えて

18年6月に行われた「バイオレント・パターンズ」は初年度の締めくくりにふさわしい、NLNのスタンスを象徴的に示すシンポジウムだった。テーマはサイバーセキュリティ。オランダ警察との協働プロジェクトだ。近年、政府や法執行機関が過去の犯罪履歴や統計からアルゴリズムを用いて未来の犯罪を予測する取り組みが増えているが、そこには課題も多い。「公共空間におけるプライバシーの問題は?」「人種やジェンダーの差別を助長することになるのでは?」といった人道的なものから、「過去のデータから未来を導き出すことはできるのか? 肝心な現在が無視されていないか?」といった哲学的な問いまで、幅広い意見が交換された。聴講者には警察関係者も多く、普段とは全く違った切り口の議論に驚き、コラボレーションの手応えを感じたそうだ。こうしたデザインの枠を超えた相互理解こそNLNが目指すものだ。来年度は環境保護団体グリーンピース(NGO)と地球温暖化についての協働プロジェクトを行う予定だという。

「問題提起に長けているのはアーティストも同様です。ただNLNの生徒はデザイナーですから、問題を投げかけるだけでなく、可能な限り答えやカウンターストラテジーを考え出してほしい」とシュレイダーは言う。「それから、観衆から逃げないこと。デザインには大衆に訴えかける力があるのですから。その力を発揮するのがデザイナーとしての責任です」。

第1期生の作品が披露されるのは来年の夏に行われる卒業制作展。グラフィックデザインの枠にとらわれない、幅広い層にアプローチする最終プロジェクトが期待される。NLNから巣立つのは「社会」をデザインするデザイナーたちだ。End

▲2018年6月にノンリニア・ナラティブが主催したサイバーセキュリティに関するシンポジウム「バイオレント・パターンズ」。©Roel Backaert




本記事はデザイン誌「AXIS」195号「世界のデザイン大学2018」からの転載です。