【対談】長谷川祐子×田根 剛
無意識に培われた日本の美意識に向き合う

©広川泰士/Taishi Hirokawa

「日本のデザインを象徴するもの」とは何か。キュレーターとして、海外のミュージアムでの企画展を成功に導いてきた長谷川祐子と、エストニア国立博物館を設計するなど、パリを拠点に活躍する田根 剛が俯瞰して捉えた日本像とは。




ヨーロッパとの比較から見えるもの

田根 剛 2006年からフランスに住んでいますが、昨今、日本の建築が海外で評価されている理由は、シンプルさにあると思います。シンプルといえばスカンジナビアのデザインもそうですが、日本の場合はまた違って、機能を超えた身体性や、思想や精神が宿ったようなシンプリシティ。自然の佇まいや環境との調和のなかで生まれてきた日本の建築は、メインストリームではないけど、注目を集めています。

長谷川祐子 フランス人は基本的に、日本が大好きですよね。18年にパリで開催した展覧会「深みへ 日本の美意識を求めて」の説明文でも触れましたが、フランスの美は加算の美。一方で、日本の美は、自然観察から導いた、最小限や合理性といった減算の美の要素で構成されています。




▲長谷川祐子(はせがわ・ゆうこ)/キュレーター。東京都現代美術館参事、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科教授。2016年フランス芸術文化勲章シュバリエ受賞。17年「ジャパノラマ 1970年以降の新しい日本のアート」(ポンピドゥ・センター・メッス)、18年「深みへ―日本の美意識を求めて―」展(パリ、ロスチャイルド館)、19年「Intimate Distance, the masterpieces of the Ishikawa Collection」(モンペリエ・コンタンポラン)を企画。©広川泰士/Taishi Hirokawa

田根 日本では、フランスのものを手放しで称賛するような風潮がありますが、同じようにフランスでも、日本のものは好意的に受け取られています。MUJIやユニクロは生活に根付いていて、食では、寿司みたいないわゆる和食だけでなく、日本人シェフがつくる懐石料理の影響が感じられるようなあっさりしたフレンチも人気です。

長谷川 日本の美の、もうひとつのキーワードが「透明性」。日本のいいデザイン、いい建築には透明さがあります。内と外の関係がシームレスにつくられている。ネイチャーが自分の延長線上にあって、そこに自分が包含されている。そして、ネイチャーもまた、自分を包含しているという感覚です。日本の美を体現しているという意味では、原 研哉さんと吉岡徳仁さんが挙げられます。原さんは、日本の伝統的なものを、現代に通じるように翻訳し、トランスフォームするのがうまい。吉岡さんは圧倒的な透明性。自然の動きや流れ、風や水、気象みたいなものを、抽象彫刻のようなプロセスを通じて、見事に取り入れています。




▲田根 剛(たね・つよし)/建築家。Atelier Tsuyoshi Tane Architects 代表。1979年東京都生まれ。代表作「エストニア国立博物館」(2016)、「新国立競技場・古墳スタジアム(案)」(2012)など国際的な注目を集める。 フランス文化庁新進建築家賞、第67回芸術選奨文部科学大臣新人賞など受賞多数。パリを拠点に活動している。©広川泰士/Taishi Hirokawa

田根 長谷川さんの話を聞いて思い浮かべたのが、しめ縄ですね。しめ縄は、合理的でもないし機能的でもない。でもシンプルで、そこに精神性を見出すことができます。日本人は、そういった意識を無意識にトレーニングしてきたというか、宗教ではない場や文化が、脈々と現代に受け継がれているのは珍しいと思います。

長谷川 あらゆるものに霊性が宿るという考え方は昔からあって、日本では、現代でも多様なかたちでアニミズムが維持されています。それが針供養であったり、ロボットに名前をつけるとか、モノを人と同等に扱う感覚として表れています。他にも、日本画顔料や漆は、自然からつくり出したマテリアルそのもので、それに対してリスペクトがあって、ペンキや油絵具とは全く違う存在。デザイナーも含めて、日本のつくり手は、マテリアルの捉え方が西洋の人とは違いますね。

▲長谷川氏がキュレーションを務めた、ジャポニスム2018「深みへ―日本の美意識を求めて―」展(パリ、ロスチャイルド館)の展示風景。 写真提供:国際交流基金 ©Graziella Antonini

田根 西洋のデザイナーの仕事は個のクリエイティビティですが、日本の場合は集合知。個々の発想に加えて、技術や自然、伝統といったリソースなど、いろんなものを複合的に取り入れることで形づくられています。ひとりではできないことでも、集合知的に生まれるのが日本のデザインのいいところ。

長谷川 複数の要素を集合させていく、相互依存、相互連関という考えがあって、日本人は複数の集合体を巧みに組み合わせていますよね。日本のプロダクトに優れた点があるとすれば、製作過程で周りを巻き込んで、作用していく点。それは個の身体知ではなく、共有されてきた身体知に由来しています。




「石」が想像力を喚起する

田根 もうひとつ思いついたのが、お地蔵さんです。ヨーロッパの街角には、マリア像がありますが、お地蔵さんは神様ではなく、その場所を見守るアノニマスな存在です。日本人は、そこに自己投影して祈ったり、お辞儀をしたり、何となく無視できない。これって、針供養と同様に、ヨーロッパの人々からすると理解できないコミュニケーションで、とても日本らしい。ヨーロッパにおける美しさは、主に視覚的な情報に基づいていますが、日本ではそれだけではなく、例えば、対象に触れるという質感も含めた美しさを重視しています。

長谷川 日本人は、マテリアリティに対して、センシブルかつセンシティブですよね。マテリアリティってアンスキャンナブルなんだという前提で。例えば石や岩、木の情報量って膨大じゃないですか。それに比べると、3Dプリンターでつくったものは、3秒で飽きるというか、情報量に乏しく、つまらない。

▲Timescapes #27 28 Oct.–2 Nov.1994 Hotokegaura Aomori ©広川泰士/Taishi Hirokawa

田根 こちらの想像力が刺激されるような、膨大に蓄積された情報量に対峙するとぐっときますね。先日奈良に行ったら、大木が茂っていて鹿がわんさか歩いていて、京都とはまた違う「蓄積」を感じました。古墳の近くに転がっていた石に、普通の石ころとは違った魅力を感じて、なんとも言えない力強い存在感が漂っていました。

長谷川 石はちょっとしたブームですよね。第58回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館のアート展示の審査員をしたのですが、そこで選んだのが、江戸時代に大津波によって海底から陸上に運ばれてきた「津波石」を起点とした展示です。ポストインターネットっていうのは、石みたいなことかなと考えました。

▲2018年に開催された田根氏の個展「未来の記憶 Archaeology of the Future ― Search & Research」(TOTOギャラリー・間)の展示風景。©Nacása & Partners Inc.

田根 秋吉台の鍾乳洞に行ったら、地球の地殻変動から生まれた空間が暴力的過ぎたのか、鍾乳洞を出た直後に流れている川を見て、自然はなんてやさしいんだと思ったほどでしたね。石にも、そういう力強さがあります。これはスタッフにも言っていますが、普段から、インターネットだけで情報を集めないようにしています。なぜなら、ネットには古いものしかなくて、僕らがこれからやりたいことを見つけることはできないから。

長谷川 田根さんは個展で、膨大なイメージを展示していましたが、無駄なものはひとつもないように思えました。直接役に立たないようにも見えますが、あれだけのイマジネーションをリサーチして、受け入れて、アウトプットにつなげる。その過程すら楽しんでいるような印象です。ポストインターネットは素朴な話ではなく、身体と情報の関係など、複雑化してしまった多様な要素を、自分なりにどう統合して、シンプリシファイしてプロダクトにしていくか。インフォメーションをナレッジに変換する力が、肝になっていくと思います。(構成・文/廣川淳哉)End




本記事はデザイン誌「AXIS」200号「Japan & Design 世界に映る『日本のデザイン』の今」(2019年8月号)からの転載です。