「民藝」の二文字が今なお新鮮味を与え続けられるその要因【前編】

「民藝」。100年に満たないこの分野に関しては、いい加減、出尽くしてしまいそうなのに、この2文字を見ると、何かを期待してしまう。実際、何度も民藝館に足を運んだ人でも、民藝関連の展示会に行けば、何らかの発見や興奮がある。

▲民藝の同人は、言葉のセンスだけでなく、グラフィックのセンスも抜群だった。柳らの装丁の美しさは、まさに「工藝」だ。
https://foucault.tumblr.com/post/17755141441

柳宗悦が仲間と共に「民藝」の新語を作ったのは大正が終わる前年の1925年。たまに受け持つ大学の講義などで、学生には「『民衆的工藝』を略し、『みんげい』という口馴染みの良い言葉を作った柳達の言葉のセンスが良い」、と必ず話す。日本クラフトデザイン協会やクラフト・センター・ジャパンなど、1950年代に起こった日本のクラフト運動は、海外の「クラフト」という言葉をそのまま使ったために、今でもホビークラフトやクラフト雑貨などとの線引きをするのに苦慮している。ここ10年盛り上がる生活工藝は、この4文字を並べないと成り立たない。「せいげい」と誰も略すことをしないのは、響きが軽く感じるからだろうか。

柳宗悦らは「新作民藝」の作り手の応援や、各地の良質なものの発見に余念がなかった。昭和7年、民藝の思想に共鳴し、鳥取の医師であり、「民藝のプロデューサー」を自称していた吉田璋也は自らデザインし、作り手を鼓舞し、「たくみ」という販売場所を作ることで、作り手が安心して物を作れる環境を整え、また店を通して良き使い手を育てた。柳たちは昭和11年に日本民藝館が開設された当初から「新作工芸展」を開いていた。同人は積極的に全国各地に散らばり、調査、発掘したものの販売会を百貨店などで開いたことで、多くの手工芸を愛する人に「民藝」が馴染んで行ったのだ。

かく言う私もそのうちのひとりで、学生時代から、全国の民藝館を訪ね、民藝店で買い物を楽しんでいた。しかし、あくまで私感であるが、20年ほど前、自分が商売を始めた頃、商いに関しては、「民藝」の中枢にいるもの以外は近寄ってはいけない、超えられない高い壁を感じていた。実際、作り手側から「直接は取引できない。民藝店を通して欲しい」と、言われたこともある。それはその作り手と民藝店との長年の付き合いの義理もあるだろう。今では、彼らが、過去に一見との取引で入金のトラブルがあったり、何気ない常識の違いから話が噛み合わなくなったりといった、苦い経験がそうさせたのだと判るが、当時は「なんて閉鎖的」と思ったものだ。

そんな民藝が変わったと感じるようになったのはこの12~3年ぐらい。若い作り手が増えてきた。いや、今までも若い作り手は順次、生まれても、民藝業界の中だけで完結して露出していなかったのが、インターネットの普及により、民藝の作り手の居場所が見つけやすくなったことや、人と人とのつながりが容易になったことがその一因だろう。一方、作り手だけでなく、「若い店」も、確実に増えた。全国の民藝店には共通するスタイルのようなものがあったが、若いオーナーは、その定型に留まらず、「今の生活」にあったかたちに編集をし、民藝の新しい見せ方を打ち出した。それに応じるかたちで、若い客は、民藝を新しいものとして捉えていったのだ。

新鮮に感じたのは、客だけではなく、作り手も同じことを感じたに違いないからだ。新しい店のオーナーたちは、今までの窯名、工房名、産地名で一括りにするわけではなく、積極的に、作り手の個性を生かす提案を行っている。一方、今のような情報化の世の中では、かつて言われた「無名の工人」としての存在を維持するのは逆に難しいのも事実だが。

▲IDEE TOKYOにて。店舗入り口には、DM(こちらの記事を参考に)のイメージの展示。

さて、2020年10月23日から11月24日の間、東京駅構内に位置する、IDEE TOKYO「民藝のあわい」展が開かれている。会場となった、IDEE TOKYOは今年8月にオープンしたエキナカにあり、世界的プロダクトデザイナーであり、日本民藝館の館長でもある深澤直人さんがキュレーターを務める。

民藝がらみ…ということで、「日本民藝館展」という、新作民藝の公募展に、繋ぎ手として参加しているランダバウト/アウトバウンドのオーナー、小林和人さんに企画の声が掛かった。そこで小林さんは、この春、『わかりやすい民藝』を上梓した工藝風向の高木崇雄さんを誘い、「三人ぐらいがバランスが良いのでは?」ということで、私が末席に座らせてもらうことになった。

百貨店で「民藝展」が開催されることや、個人ギャラリーで作り手の展覧会をすることはあるが、顔を立たせた三人が軸となるこの企画。「日本民藝館展に落ちたものの落ちた意味」のようなことが討論された。当落の線上はどこにある…を問答しながら、結局、タイトルは「民藝のあわい(“間”の古語)」となる。

▲「民藝のあわい」の壁面タイトルの上に、小林和人さんが選んだ、山崎大造さんの籠の影。タイトルの“あわい”は“間”と“淡い”を掛けていることを、暗に表現した展示。

後編は、展覧会で以下三人がインスタライブで言ったこととその補足をしたいと思う。End

・1回目:10月23日(金)開催分
https://www.instagram.com/p/CGr3mNJHz_v/
・2回目:11月12日(木)開催分
https://www.instagram.com/p/CHfXG7vJdUP/


前回のおまけ。

「日本の道具展」会期中に作り手さんもたくさん、ご来場くださいました。

▲高橋づづら店の高橋諭さんと陶芸家の長田佳子さん。