ピニンファリーナの実車用風洞が50周年
歴史的建築物から“未来へのスイッチ”へ

▲設立50周年を迎えたピニンファリーナの実車用風洞。©Pininfarina

イタリアの自動車デザインおよびエンジニアリング企業「ピニンファリーナ」は2022年6月21日、トリノ郊外に所有する実車用風洞の開設50周年セレモニーを催した。

▲施設は1972年に完成し、今日も社内外の研究開発に使われている。Photo by Akio Lorenzo OYA

ピニンファリーナは1930年、“ピニン”のニックネームで知られた板金職人バッティスタ・ファリーナによって設立された車体製造会社だ。草創期はイタリア国内外の富裕層の求めに応じて特注ボディを製作することで、知名度を高めていった。

第二次世界大戦後は、1947年「チシタリア202クーペ」で戦後の自動車デザインのスタンダードをいちはやく提示。これは、後年ニューヨーク近代美術館(MoMA)における初の自動車永久所蔵品となっている。やがて、アルファ・ロメオをはじめとする大手自動車メーカーからの車体受託生産、すなわち今日でいうところのOEM生産も、同社を支えるもうひとつの柱となった。

風洞は、ピニンファリーナのそうした拡大期である1965年に最初の構想が描かれ、1970年に建設が正式決定された。創業2代目であるセルジオ・ピニンファリーナのもと、自社の研究施設を充実させることで、群雄割拠するカロッツェリア(車体製造企業)業界において、ひときわ高い優位性を獲得することが目的だった。

▲風洞はトリノ郊外グルリアスコに建設された。これは工事中の1971〜72年の様子。©Pininfarina

場所は当時ピニンファリーナの主力生産拠点だったトリノ郊外グルリアスコ工場に隣接する土地で、1972年秋に完成した。実車計測可能なフルスケール風洞としては当時イタリア唯一、世界でも7番目という早いものであった。フェラーリ社が自社風洞を導入するのに24年も先駆けていた。

▲「フェラーリ・ベルリネッタ・ボクサー」(手前)のデザイン開発においては、試作車から1973年市販型への熟成に風洞がいち早く用いられた。50周年セレモニー当日、屋外にて。Photo by Akio Lorenzo OYA

自動車からゴルフクラブまで

当初は高速度における各種研究が主目的とされていた。だが、完成翌年の第一次石油危機をきっかけに、燃費向上を目的とした空気抵抗軽減にも活用されるようになった。その一例が、イタリア研究機構と共同開発した1978年「ストゥディオCNR」である。時代を先取りした空力形状によって、従来の美的基準で自動車デザインを評価する人の間で多くの議論を巻き起こしたが、まさに風洞実験による成果であった。

▲1978年「ストゥディオCNR」の1/1モデル。可視化材にはオイルを用いている。©Pininfarina

▲模型を用いた各種実験。これはトラックのデザイン開発。©Pininfarina

施設は、社内研究だけでなく社外にも積極的に貸し出されてきた。市販車のクライアントであるフェラーリのフォーミュラ1レーシングカーの開発や、BMW製二輪車「R100RS」はその代表例である。

また、ピニンファリーナによる自動車以外の輸送機器やプロダクトデザイン部門にも盛んに用いられてきた。高速特急列車「ブレダETR500」のプロトタイプ「ETR-X500」、船舶などの試験模型、1992年のミズノ製ゴルフクラブなど、さまざまな領域のものが持ち込まれたという。

▲モーターヨットのスケールモデル。©Pininfarina

▲その低燃費から未来が期待されているオープンローターのリージョナル旅客機。©Pininfarina

ピニンファリーナがデザインし2006年トリノ冬季五輪で採用された聖火トーチも、同様にタービンの前に置かれて熟成が重ねられた。時速120kmの強風を受けても火が消えず、かつテレビ画面でも燃焼状態が確認できる仕様が要求されたためである。

▲ピニンファリーナがデザインし、実際に採用された2006年トリノ冬季五輪用トーチ。©Pininfarina

建築物の設計模型を通して周辺の気流、風速などの測定も行われてきた。2000年に南極大陸のスペイン研究チームのためにピニンファリーナがデザインした基地施設計画でも大きな役割を果たした。

トリノ工科大学をはじめとする研究教育機関にも貸し出されてきた。ユニークなところでは、強風と闘うアスリートの練習にも使われている。サイクリスト、フランチェスコ・モゼール選手は、1984年に自身の鍛錬に加えて自転車本体やヘルメット、ウェアの改良に使用。その結果、後日彼は、従来のアワーレコード(1時間で走れる距離)を上回る51.151kmを達成した。また、南チロルの登山家ラインホルト・メスナーは、テントをはじめとする装備の登頂前点検に風洞を用いた。

▲自転車選手自身のトレーニングとともに、ロードバイクのデザイン開発にも用いられた。写真は「デローザSKピニンファリーナ」。©Pininfarina

イタリア流の建築物とのつきあい方

50周年記念セレモニーは「風のかたち」というサブタイトルのもと催された。開会にあたりパオロ・ピニンファリーナ会長が紹介したのは、祖父で創業者のバッティスタによる「厳寒の冬山で、風によってえぐられた雪の形を模してクルマをつくりたかった」との言葉だった。そして、空力に対する思想は、創業7年目の1937年「ランチア・アプリリア・アエロディナミカ」に反映されたと解説。流体への長い関心を強調した。

▲スピーチをするパオロ・ピニンファリーナ会長(左)。スクリーンには、祖父で創業者のバッティスタが映る。Photo by Akio Lorenzo OYA

チーフ・クリエイティブ・オフィサー(CCO)のケヴィン・ライスは、昨今の電動化によって車両重量が平均30%も増加していることを指摘。空力性能の向上はそれを相殺する重要な手段であると説いた。同時に風洞は、車内外の風を原因とする騒音測定にも積極的に活用されているとも語った。

▲チーフ・クリエイティブ・オフィサーのケヴィン・ライス(左)。Photo by Akio Lorenzo OYA

▲セレモニー当日に置かれていたのは、ハイパーEV「バッティスタ」。ミュンヘンにある関連会社が製造する。Photo by Akio Lorenzo OYA

セレモニーの後には、実際の風洞の見学会が行われた。自動車開発という高度な企業秘密が絡む施設ゆえ、普段は公開されていない。内部に入れるのは極めて貴重な機会である。

機密保持に関していえば、計3つの控室(ボックス)が用意されている。実験のため時間レンタルした外部企業は、終了後即座に試作車などをその空間に格納可能だ。また、ネットワークやデータストレージも外部から完全に遮断されている。

▲車両後方の送風機で風を起こすことによって、走行状態を再現する。©Pininfarina

▲自動車が置かれた測定部を通過した空気は建屋内を通り、13基の副送風機で再び測定部に送り込まれる。主送風機のみよりも強い風をつくり出せるため、より高速度を再現できる。Photo by Akio Lorenzo OYA

▲風による騒音の測定装置。車内騒音の測定・評価に用いるヘッド・アコースティック社製ダミーヘッド。Photo by Akio Lorenzo OYA

▲スモークを用いた空気の流れの可視化。車両後方の揚力を抑制するための可動式スポイラーを上昇させた際の様子。©Pininfarina

ピニンファリーナの風洞は、一度測定部を通った空気を、副送風機で再び測定部に送り込むことによって、より速い空気の流れをつくり出す、「回流型」に近い構造である。時速250kmまで再現が可能だ。床面に備えられたムービンググラウンドも、より実際に近い空力環境の実現に貢献している。当日はハイパーEV「バッティスタ」が置かれていた。スタッフによれば、半世紀の間に設備は常にアップデートを重ねて、現在に至っている。近年ではWLTP(国際調和排出ガス・燃費試験法)に定められた走行抵抗の測定にも対応している。

ところでピニンファリーナといえば、前述の黄金期を支え、1986年にミラノ証券取引所上場の原動力にもなったOEM生産部門は2000年代に入って受注が急減した。自動車メーカー各社の外注車種削減が原因だった。その影響で深刻な経営危機に陥り、結果として2011年に一切の車体製造から撤退した。風洞と道を挟んだ向こう側には、広大な旧工場が今日も空き家のまま残る。そして2015年にインドの自動車メーカー マヒンドラ傘下となり、デザイン&技術開発に集中するかたちで再出発した。

幸い再建は順調に進み、2021年12月現在の従業員数は486人、2021年の総売上高は6,680万ユーロ(約91億6千万円)に達する。ドイツ・ミュンヘンには、超少量生産のハイパーEV「バッティスタ」を生産する工場を、マヒンドラとともに設立している。

もちろん、外部企業への風洞の貸し出しによる収益が見込まれたことも明らかだろう。不遇の時代も手放さなかったところに、ピニンファリーナにとって、いち施設以上の思いがあったことが伝わってくる。

来賓として臨席したグルリアスコ市のエマヌエレ・ガイト市長によると、市は2023年から2026年にかけて3億5千万ユーロ(約484億円)におよぶ官民の投資を得て、大学を中心とした科学・環境研究都市をつくる計画がある。そうしたなかで、風洞をもつピニンファリーナとの連携をさらに強化させてゆく考えだという。つまり風洞が、復興のランドマークになる可能性を秘めているということだ。

従来施設が常にアップデートされ、未来へのスイッチとして積極的に生かされてゆく。スクラップ&ビルドとは異なる、イタリアのさまざまな都市で実践されてきた歴史的建築物とのつきあい方が、この20世紀企業の研究施設でも実践されようとしている。

▲コントロールルーム。©Pininfarina

▲外観は基本的に50年前と同じだが、内部は絶えずアップデートが行われてきた。©Pininfarina

▲シルビオ-ピエトロ・アンゴリ社長。「大学で理論物理学を専攻し、航空機技術者だった私は、流体力学の重要性を体得していました。ゆえに経営危機でも風洞は守り続けたのです」と語る。Photo by Akio Lorenzo OYA