武内経至による、生活に豊かさをもたらすデザイン。
ミラノを拠点に日本企業をアシスト

▲木製ドアハンドルブランド「aru」(2022)。

武内経至は、15歳のときに単身でニュージーランドに移住し、オークランドとパリの大学でデザインを学んだ。2005年から約10年間、深澤直人の事務所のスタッフとして欧州のプロジェクトを支え、2015年にミラノに自身の事務所を設立。現在は、ボッフィやデ・パドヴァといったグローバル企業の仕事を多数手がけ、最近では、日本の新しい木製ドアハンドルのブランド「aru」の立ち上げに携わった。海外在住歴の長い武内が考えるデザインについて聞いた。

▲「リスボア・アウトドア・チェア」モーアデザイン(2022)。コロナ禍に考えた、アウトドアだけでなく、家の中のバルコニーやテラスでも楽しめる持ち運び可能なラウンジチェア。

ものづくりに興味を持った幼少期の体験

武内は、1977年に福岡に生まれた。祖父母が営んでいたテーラー店(服の仕立て屋)が幼少時代の遊び場だった。足踏み式ミシンや一枚板でできた大きな作業テーブル、たくさんの生地が並ぶ光景を今でも覚えていて、ものづくりへの興味はそこから始まったと感じているという。

小学生になると、学校の廊下を掃除する際に皆でよく「雑巾がけレース」をして速さを競った。だが、武内はいつも床のラミネート製パネルのすき間に雑巾が引っかかり、負けて悔しい思いをした。そこで雑巾を手でしっかり押さえながらスムーズに進めるように、両手を入れられるポケットをつくることを思いつき、祖母に縫ってもらい、初めて優勝することができた。「ちょっとした工夫をすることで良くなる、上手くいく」という体験が、武内少年の心に感動を与えた。

▲「CONCAVE」JAXSON KEON(ジャクソン クオン)(2020)。ダイナミックなR形状により、柔らかな水の輪郭が浮かび上がり、美しい水辺につかっているかのような心地良さをもたらす。

大学に勤めていた父親は、講師として来日した外国人をたびたび自宅に招いた。中学生になった武内は、学校で英語を学びはじめていたが、彼らの言葉がまったくわからず、会話を試みるが通じない。英語を話せるようになりたいと留学を決意。父親の知り合いのニュージーランド人にホームステイ先を紹介してもらい、自分が行きたい学校を決めて、中学を卒業後、ニュージーランドに渡った。

オークランドの高校に入学し、授業のなかで人間心理学に興味をもった。人間の心理に与える色の効果を学んでいるうちに、自分は子どもの頃から絵を描くことや、ものづくりが好きだったことを思い出す。高校卒業後、オークランドの大学のプロダクトデザイン科に入学。在学中、奨学金を得てフランス国立工業デザイン学院に約8カ月通い、24時間開放された校舎で自身の手でものをつくる楽しみを味わうことで、本当の意味でのデザインに目覚めたという。

▲「キャストハンマー」(2020)。ローザンヌ美術大学(ECAL)の「ECALデジタルマーケット」のためにデザインしたもので、のちにポルトガルのブランドOrigin(オリジン)から製品化された。

深澤直人との出会いと学び

大学を卒業後、日本に戻ろうと考えた。オークランドの大学の図書館でデザイン誌「AXIS」vol.99(2002年9・10月号)の深澤直人が手がけた日立の家電製品の記事を見たことがきっかけだった。例えば、洗濯機は運転中が青色に、乾燥中はオレンジに光るという、そのインタラクションデザインに感動を覚え、深澤のもとで働きたいと思い、すぐに荷物をまとめて2003年に日本に戻った。

その後、2005年春に深澤の事務所にようやく募集告知が出たため、毎日のように徹夜してポートフォリオづくりに取り組んだ。思い入れのある「AXIS」誌と同じサイズに紙をカットして作品画像を印刷し、封筒も自作して、受け取った人が開封しやすいように考えて設計した。そこに気遣いやこだわりが感じられると評価され、その年から深澤の事務所で働くことになった。

▲「Solid oak chiar」HENRYTIME(ヘンリーティミ)(2014)。武内が初めて手がけた椅子のデザイン。木材の塊から削ぎ落とされて生まれたような、ミニマルで彫刻的な印象をもたらす椅子。

ちょうど入所した2005年は、深澤が海外企業の仕事に挑戦しはじめた時期で、武内は後にもうひとりのスタッフとともに欧州プロジェクトの担当についた。2012年からはミラノにサテライトオフィスを構え、深澤の欧州の仕事をサポート。「欧州出張中の深澤さんと長い電車移動をするなかで、オープンにいろいろなことを話せ、多くのことを学びました。それは僕にとって世界一贅沢な時間でした」と、武内は当時の思い出を語る。

2014年にフリーランスとして初めてデザインした木の椅子「Solid oak chiar」を、ミラノサローネで発表。オープニングには、有名家具メーカーのディレクターなども多数訪れて好評を博した。武内は2015年に独立し、ミラノに自身の事務所を開設。ミラノサローネで発表した椅子を見た人などから、仕事のオファーが次々に舞い込み、次第に活動の幅を広げていく。

▲「kip」(2019)。目の前の素晴らしいフィスカースの自然に溶け込むようなベンチをつくることを目指した。

デザインは、豊かさを生み出すこと

自身のデザインの考え方が大きく変化した転機となったのは、2019年に発表したベンチ「kip」だった。フィンランドのフィスカースビエンナーレのなかで、ジャスパー・モリソンがキュレーションを手がけたプロジェクト「ソーシャル・シーティング」のために制作したものだ。

「実際に人が自由に座ってくつろいだり、楽しんだりしている姿を見たときに、こういうものをつくらないといけないという思いになりました。デザイナーの仕事は、椅子をつくることではなく、椅子がもたらす豊かさを生み出すことだと気づいたのです。これ以降、ものづくりに対する考えも、つくるものも大きく変わりました」と武内は言う。

▲「aru」(2022)。自然にそこに存在するという、「在る」という言葉がブランド名の由来。素材の質感を生み出す造形にこだわった。

今夏発表した木製ドアハンドルの新しいブランド「aru」も、人の生活を豊かにすることを目指して開発した製品である。高級木製ハンドルを販売するすがたかたち社の製品を雑誌で見て興味を持ち、シンプルで静かな佇まいのドアハンドルを提案して「aru」のプロジェクトが始まった。そして、商品のデザインだけでなく、ロゴデザイン、撮影、ウェブなど、包括的にアートディレクターとして携わった貴重な経験となった。

▲「スプリングバックラウンジチェア」cruso(クルーゾ)(2020、2021)。木とステンレスを組み合わせた、フラットパックが可能な組み立て家具。

生活のなかの気づきから生まれる

武内は、デザインとは「人間の知恵から生まれるもの」だと考える。

「知恵というのは、僕が『雑巾レース』で両手を入れられるポケットを付けることを思いついたように、こうしたらもっと良くなるという気づきです。日常のなかには、そういう気づきがたくさんあって、それをもとにデザインを考えると、人の生活のなかに自然なものとして当てはまるものになると考えています。そういう気づきを得るには、感受性が必要で、それは誰でも今からでも身につけることができます。そのためには、自分の感受性と向き合うゆっくりとした時間を持つことです。考えて、感じて、自分のなかでそれを咀嚼して整理する時間を持つことで感受性は育まれ、やがて目の前の世界(景色)が鮮明に見えてくるはずです。気づきを得たら、それにどうアプローチして、どうするのがベストなのかと考えて、答えを見つけ出していく。その答えを探すためのアプローチの視点や方法が自分独自の感性やオリジナリティにつながります。重要なのは、そのときに答えが見つからなければ、静かに待つことです。自分の信じることを妥協せずにやっていれば、自然と自分のデザインの姿が見えてくると思います。僕にとってデザインは特別なものではなく、生活であり、文化であり、空気のようにどこにでも存在する物事の“ありかた(being)“ だと思っています」。

▲「ZUNTO」(2022)。後ろ脚の前に背当てを付けることで、同じサイズの椅子でもより大きな背当ての面積を確保でき、心地よさに違いをもたらす。インテリアズから10月に発売された。

イタリアでも、デザインは生活そのものだと考えられていて、デザイナーには何より生活者としての視点が必要だと考える。そんな武内は、欧州の実際の人々の暮らしをよく知る立場から、「海外市場に向けて挑戦していきたいと考えている企業の人々をアシストするようなかたちで貢献できたら」という思いがあり、今後も日本の企業との仕事にもっと取り組んでいきたいと願望を語る。武内の製品は、日本では「aru」やインテリアズで扱っているので、興味がある方はぜひウェブを見ていただきたい。End


武内経至(たけうち・けいじ)/デザイナー。1977年福岡県生まれ。15歳のときにニュージーランドに移住。オークランドの大学のプロダクトデザイン科の学士号を取得。1999年にパリに移り、奨学金を得てフランス国立工業デザイン学院で学ぶ。2003年日本に戻り、2005年に東京の深澤直人の事務所に入所。2015年に自身のスタジオKeiji Takeuchi Srlsをミラノに立ち上げ活動を開始。ボッフィ、デ・パドヴァ、リビングディバーニ、ハーマンミラーなど、国際的なブランドの仕事を多数展開する。