アップル上級副社長 独占インタビュー
制約なき創造を解き放つアップル社の新作アプリ「フリーボード」

アップルは12月、iPhone、iPad、MacのOSをいっせいにアップデートし、OS機能の一部として新アプリ「フリーボード」の提供を開始した。3年ぶりに行われたアップル社重役の年末の日本訪問で来日していた同社のワールドワイドマーケティング部門の上級副社長、グレッグ・ジョズウィアック氏に、同社が肝入りで開発した、この新しい生産性ツールの魅力や狙いなどを聞いた。

シンプルゆえに多彩な電子ホワイトボード

 「フリーボード(英語名は「Freeform」)」は、いわゆるクラウドベースの電子ホワイトボードアプリだ。画面構成は極めてシンプルで、起動すると画面いっぱいに方眼が描かれた白いボードが広がる。ユーザーは画面の上のツールバーから、付箋、図形、文字、写真、ファイルといったボードに配置したいものを選んで、置きたい場所に配置。そのうえで形を整えたり、文字を打ち込んだり、写真を選択したりするだけだ。マウスやApple Pencilで手描きの絵を加えることも、仕事のプロジェクトで使う関連資料を見つけやすいように貼り付けて置くこともできれば、貼り付けた項目同士を線でつないでマインドマップに加工することもできる。

 Mac、iPad、iPhoneというアップルの主要3製品に対応しており、クラウド経由で連携。Macでつくり込んだボードを出先でiPhoneで参照したり、iPadとApple Pencilで手描き部分を描き加えたりといった連携も可能だ。さらにはリンクを共有することで、作成したボードをグループで共同編集することもできる。

「フリーボード」はアップル社が12月にリリースした最新OS、「iOS16.2」「iPadOS 16.2」「macOS Ventura 13.1」として提供されており、iPhone、iPad、Macのいずれでも使うことができる。作成情報はクラウドサービスのiCloudに保存され、使う機器を切り替えても編集が可能。また共有リンクを作成して、他の人と共同編集することも。

――ボードのサイズや共同作業できる人数にもとくに制限がないのに加え、他の同類のソフトと比べても引っかかる感じがなく快適に動作するのが大きな特徴だ。

 「極めてシンプルなアプリですが、とても多くのことができます。これは弊社が何度も言っていることですが、シンプルなものをつくるというのはひじょうに大変なことです。複雑なままの商品をそのまま出してしまうのは簡単ですが、我々は物事を本当に深いところまで突き詰め、シンプルを極めてから製品化しています」。

――そこまでしてシンプルさを突き詰める理由は何だろう。

 「(シンプルを突き詰めたおかげで)誰もがアプリを起動して、直感的にすぐに使い始めることができます。またシンプルなおかげで、ひじょうに多くのことを行うことができます。個人的なプロジェクト、仕事のプロジェクト……。人々は、同じアプリをどれだけ多くのことに活用できるかに衝撃を受けることでしょう」。

――確かにMacやiPhoneに付属の「メモ」アプリも極めてシンプルなアプリだが、だからこそちょっとした覚書から、短い文章の下書き、買い物リストまで幅広い用途に使うことができる。後々、参照する必要が出てくる情報をすべてこのアプリに溜め込んでおいて検索しているユーザーも多いのではないだろうか。

 「その通りで、私も何でもメモに書き込んでいました。メモは単に文章を書き留めるだけでなく、絵も描ければ、ファイルを貼り付けたりといろいろなことができます。ただ、メモが情報をひじょうに構造的に扱っているのに対して、フリーボードは、もっと人間の脳内の情報の扱いに近く非構造的なところです。メモでは、この情報はすでに書き込まれている情報よりも前にあるべきか、後にあるべきか、次のページに書くべきかとか頭を悩ませる必要がありました。これに対して、フリーボードはどこまでも無制限に広がるボードなので、横でも斜めでも、どこでも好きな位置に書き加えて先に進むことができるのです」。

――だが、ジョズウィアック氏が、それ以上に重要だというのが「クリエイティブなコラボレーション」の実現だ。

 「このアプリは、クリエイティブなコラボレーションを念頭に置いてつくられました。これまでコンピュータを使って他の人たちと作業をすると、ワープロなどで作成した書類がメールやメッセージで送られてくることがありました。コンピュータのことをわかっている人なら、改訂が即座に反映されるクラウド上の共有書類を送ってくれることもあると思います。それでも共同作業をしていると、背景にどのような考えがあって修正を加えたかが重要なことが多いので、チャットなどでやり取りをして書類に修正を加え、共同作業の成果としてできあがった書類を送信してしまうことが往々にしてあります。フリーボードでは、書類作成の背後に、どんなアイデアや発見があったかを書き留めて共有するのにも向いています。そうした使い方ができるのは、このアプリが文字を書き込むことも、絵を描くことも、ファイルを貼り付けることもできるとても柔軟性の高いアプリだからです」。

紙の制約から脱皮し真のクリエイティビティを実現するツール

――これまでにもアップルはワープロソフトの「Pages(ページズ)」などの生産性ツールを提供しており、クラウドサービスのiCloudを介してインターネット越しに共同作業をする機能も提供してきた。

 「でも、そもそもなぜMacやiPadの上でまで、8.5×11インチ(レターサイズと呼ばれる米国で標準的な紙のサイズ。日本のA4版に近い大きさ)という紙の大きさに縛られるのか。文章作成のしやすさ、印刷のしやすさ。確かにそうしたニーズは今後もあるだろうけれど、頭の中にある考えをまとめようとしているときに、フリーボードはそうした制約にとらわれないアプリです」。

――フリーボードは、2022年になっても、まだどこかで我々を縛っていた紙のアナロジーから解放し、デジタルだからこそ可能になる新しい思考の道具を提供するのが狙いのようだ。
 そもそもアップルは、このアプリをどのようなきっかけでつくり始めたのだろう。

 「アップルのプロジェクトの多くは、まるで川の流れのようで、いったいどこから始まってどこまで続くのかがわからないことが多いんです。社内のいろいろな人と膨大な議論をし、アイデアを交わすなかで、プロジェクトのかたちもどんどん変わっていきます。そうした議論のどこかの時点で、本当にやりたいことが結晶化していく。フリーボードを例に挙げれば、ひとつは極めて高いレベルでの協調作業を実現するツールをつくること、そしてもうひとつは極めて高いクリエイティビティを支援するツールを生み出すことでした。そうしたアイデアが、2022年の初頭にアプリというかたちになったときには、とても興奮したのを覚えています。なぜなら、そのアプリはひじょうに生産性が高いうえに、使っていて楽しかったからです。使っていて楽しさを感じさせるような生産性アプリは、多くの場合、ベストなアプリの形態です」。

――確かに発想を広げたいときには、紙の大きさといった制約は邪魔になるかもしれないが、未知のアプリを使うとき、あまりにも制約がなく、自由過ぎると使い方に迷う人も出てくる。アップル社内では、このアプリをどのように活用しているのだろう。

 「ひとつやふたつの使い方ではないですね。ひじょうに幅広い使い方をしています。仕事の内容や、スタイルによっても使い方は全く変わってきます。デザインチームはチーム内でデザインのアイデアをまとめるのに使っていますし、私の場合はプロジェクトに関連する書類を1カ所にまとめて整理しておくのに使ったりもしています。なかなかコレ!という決まった使い方にならないんです。ただ、ひとつ言えるのは、使えば使うほど、こういう使い方もできるかもと、頭の中の電球に光が灯り、自分でも驚くくらいに次々と新しい使い方のアイデアが出てくるのです」。

――いずれにしても、仕事用のツールということなのだろうか。

 「いえ、それだけではなく、例えば学校とかで生徒たちが学校のプロジェクトを進めたりするのにも有効だと思います」。

――なるほど、しかし、日本ではそうしたグループワークをする学校はなかなかなさそうで心配だ。

 「そんなことはないと思います。今回の日本訪問で、我々は熊本市の五福小学校を訪問しました。iPadを使って授業を受ける9歳、小学校3年生の授業を見学したのですが、彼らは班に分かれてグループ作業をしていました。教科書にある話を読み上げて、それを録音し、そこにBGMを付けてプレゼンテーションしていました。こういうことはフリーボードを使えばさらに簡単にできるし、今後、こうした学校のグループ作業でもフリーボードが活躍するのではないかと思っています」。

アップル社ティム・クックCEOと、グレッグ・ジョズウィアック氏が訪問した熊本市立の五福小学校。両氏は同校小学校3年生の教室を訪れiPadを使った国語の授業の様子を見学した。

――ところで協調作業用のツールというと、ウィンドウズやアンドロイドに対応しなくていいのかが少し心配になる。

 「ひとつ誇りに思っているのが、我々が出しているすべての機器が、それぞれが属するジャンルにおける顧客満足度調査で1位を取っていることです。しかも、こうした製品をひとつだけでなく、ふたつ、3つ持つと、それによるユーザー満足度は、さらに大きく増していきます。なぜならiCloudのサービスを通してシームレスに連携しているからです。ただ、ここで膨大な数がある他の機器にまで対応させようとすると、どこかでそうした体験の良さをあきらめ妥協してもらう必要が出てきてしまいます。だから、今回は我々が提供している製品だけに絞って、そのうえで最高の体験を生み出すことに集中しました。ただ、忘れてほしくないのは、我々の製品を使うユーザーの数は決して少なくない、ということです」。

 なるほど、確かにウィンドウズパソコンのユーザーのなかにもiPhoneを使っている人は大勢いるし、アンドロイドを使っている人のなかにもiPadを使っている人は少なからずいる。こうしたアップルデバイスが1台あれば、フリーボードでの共同作業の輪に入ることはできるし、体験で妥協するくらいなら、そこの部分の不自由は飲んでもらおう、というのは製品の第一印象を良くするうえでも大事な戦略だろう。

 我々の多くは今でも「アップル」と聞くと、iPhoneやiPad、Macといったデジタル情報機器を作る情報機器メーカーと捉えてしまうことが多い。しかし、アップルはそれに留まらずOSやアプリも開発すれば、音楽配信や動画配信のサービスも提供するなど、幅広い事業を営む会社だ。16年前、2007年の1月、iPhoneの発表と同時に社名をそれまでの「アップルコンピュータ社」から「アップル社」に変更すると発表した際、スティーブ・ジョブズは、同社が「デジタル時代のライフスタイルブランド」になると宣言していた。
 アップルが提供しようとしているのは、実はデジタル機器ではなく、それらの機器を活用して、人々が営む、新時代のライフスタイルや新時代のワークスタイルだ。そう捉えると、アップルがこの無償提供のアプリの開発に、なぜここまでの心血を注ぎ込んでいるのかが少し見えてくる気がする。End

アップル社のグレッグ・ジョズウィアック氏。ワールドワイドマーケティング担当の上級副社長という役職は、CEOのティム・クック氏に次ぐ同社の顔的立場。ちなみに前任者はよくスティーブ・ジョブズと同じ壇上で製品発表を行っていたフィル・シラー氏(現在、アップル社フェロー)。