Yチェア、1万1,000脚を張り替えた男

先日、宮城県石巻市のギャラリー「カンケイマル・ラボ」の企画展を担当した。そのときに「Yチェア1万脚の座面のペーパーコードを張り替えた職人が、今、石巻にいる」と聞き紹介してもらった。

普段は温和な亀谷信之さん。作業が始まった途端に表情が厳しくなった。

筆者が大学を卒業して、入社したのは百貨店の松屋の子会社である松屋商事株式会社(1998年解散)。梨谷祐夫さんの時代から、松屋は北欧のインテリアに強く、松屋商事は北欧家具の輸入代行をしていた。そのなかのひとつが、ハンス・J・ウェグナーがデザインした名作椅子・CH24、通称Yチェアで、会社の会議室にある椅子も当然のようにYチェアだった。そんなある日、「Yチェアの日本輸入総代理店が出来る。Yチェアを社員割引で買えるのは今のうち」と、煽られて筆者も一脚購入したのは懐かしい思い出だ。

北欧モダンデザインの傑作といわれる、1950年から生産されているYチェア。

日本の生活道具で木の短冊を連ねて輪にする「桶」は、木の水分量の変化によって箍が外れることはままあり、「直しながら使うもの」だ。樹脂を塗布した紙を撚ってつくるペーパーコードの椅子も10〜15年程度で張り替えが必要、と言われている。どんなにしっかり張っていても、次第に緩んできたり、切れたりする。一方、利点と欠点の表裏一体で、ペーパーコードの貼りによるクッション性は、他の素材の座面とは一味違う安心感がある。

ペーパーコードがきちっと貼られた座面。時間が経つと緩みが出て柔らかくなってくる。

1967年生まれの亀谷信之さんは、飲食業などに従事したのち、94年3月に住まいの近くのおしゃれな店舗に引き寄せられるように入り込んだ。そこがYチェアの輸入代理店であるディーサイン(今のカール・ハンセン&サン社)だった。インテリアのことなど何もわからぬまま、本人曰く「拾って」もらったのだと言う。最初の仕事は、配送や検品だった。デンマーク本国では問題にならないが、日本人は木の節の部分を気にすることが多い。がたつきなどもチェックが必要だった。その当時は5人程度の会社だったので、何でもしなくてはならない。当然、座面の修理張り替えも覚えることになる。「器用な方ではない」という亀谷さんは、結局、張り替えを習得するのに2年かかり、会社からしっかり任させるようになったのは入社して、3年目だったそうだ。

ペーパーコードはカール・ハンセンが使っているものと同じ、デンマークから輸入したものを使っている。リサイクルの紙を使ったペーパーコードは繊維が切れやすいが、本国のものはバージンパルプを使っており、とても丈夫。

デンマーク本社では、最初、数をこなすと給料が良くなる歩合制だったそうだ。1日に完成する脚数が多いほど、給料が良くなるシステム。だがそうすると質が落ちる、ということで、今は1日5脚に制限されているらしい。亀谷さんも最大5脚しか作業しないようにしている。実際に見せていただくと1時間強で仕上がるのだが、その作業は全身を使う運動のようにも見え、数をこなせば、翌日に差し障るのは想像に難くない。

亀谷さんがある日ふと気づくと、入社してから勤続27年になっていた。数にすると、1万脚の椅子の張り替えをしていた。コロナが明けるか……というタイミングで、結婚の約束をしていた温子さんが仕事で石巻に行くことになった。ならば、と突然の退社を決意する。熟練職人の突然の退社に会社は驚いたそうだが、誰もが人生を見直したコロナの時期を経ての転機。まったく他の仕事をしようかとも思ったそうだが、「結局、ペーパーコード張りしか出来ない」と、今は、Yチェアを中心に、アンティーク家具などのペーパーコードの張り替え依頼に応じている。

石巻にある工房「Kamome」。大家さんの許可を得て、室内を好きな色に塗っている。

「椅子張りの職人、というと、革とか布も貼れるのでは?と勘違いされますが、僕はペーパーコードだけです」と自嘲気味に話をするが、飽きっぽいのに1万脚も張り続けられたのは、届く1脚1脚に違う表情があるからだという。受け取った椅子のペーパーコードを解くと、編み目の中にビー玉などが入っていることもある。木の艶の出方も違う。一家分と思われる4脚がまとめて送られてきても、それぞれの力の掛かり具合が異なる。同じ椅子なのに、ひとつとして同じ物がない。座ってきた人の生活も見えるし、裏に書かれたサインでわかる張り職人のイニシャルを確認しながら、その職人を想像することもできる。同じ種類の椅子でもさまざまな違いが出た椅子を、毎回同じようにキリッと仕上げていく。

筆者のYチェアの座面裏。この頃のものは製造元のシールが貼ってあり、そのシールの下に製造年号が刻印されている。横のアルファベットは張った職人のサイン。

亀谷さんは決して、饒舌ではない。真面目で謙虚。彼のことを紹介しようと言葉を探しているうちに、「職人の美学」とか「かっこいい職人像」を語れないか、探していた自分に気づいた。亀谷さんはあくまで自然体。まったく力まず、偉ぶらず。彼のように「淡々と日々、同じ仕事をスマートにこなす」ことこそ「職人」で、そんな彼の働き方に耳障りのいい美辞麗句は似合わない。1万脚の経験があれば、目を瞑っていてもできそうに思えるが、亀谷さんは「ちょっと仕事が空いて“感覚が鈍った”と感じると、余ったペーパーコードを使い、張っては解いて、と練習しています」という。経験にあぐらをかく事なくあくまで謙虚に日々精進。まさに職人の鑑だ。

作業に使っていた革手袋。親指が抜けた特注品。

かつて陶芸の人間国宝である濱田庄司は、バーナード・リーチに自分の作品の15秒の流し掛けの仕上げを<60年+15秒>かかっていると語ったが、亀谷さんの1時間強は1万脚の経験に裏打ちされている。

最後にもう一度、数を聞いてみた。「ちゃんと数えると11,000脚以上ですね」と笑った顔には確固たる自信と愛情が見え隠れしていた

必要なのは、この道具セットと固定台だけ。まさに「手に職」だ。

ペーパーコード張替修理専門工房Kamome

公式URL
https://kamome375.wixsite.com/kamome375
instagram
https://www.instagram.com/kamome_375

おまけ
4月26日(月)から30日(火)まで、東京・神楽坂の「工芸青花」で3回目となる「産地とはなにか」という企画展をいたします。