感覚を数値化する
フォルムの徹底したユーザビリティの追求

Photo by Michinori Aoki

R&Dからプロダクトデザインまで幅広く事業を展開するデザインファーム「フォルム」。創業当時から、「デザインは科学」という考えのもと「感覚の数値化」を図ってきた同社代表取締役社長・松本 有らに話を聞いた。

特許庁が提供している「J-PlatPat」というサービスがある。日本のみならず世界中から出願された知財案件が実に1億件以上データベース化されており、誰でも無料で検索・閲覧することが可能だ。興味深いことに膨大な数の特許や実用新案などの多くが、技術的・コスト的課題や市場ニーズの変化といった理由から製品化されていないのだという。

フォルムのR&Dにおける業務フローは、この特許文献の徹底したリサーチから始まる。知的財産権を侵害しないための確認作業であると同時に、眠ったままの文献上のアイデアを参考に、より良い改善案を探るためだ。フォルムが開発を担当したDeliのステープラーも、数年の歳月をかけて「軽い力で紙を綴じる」という省力機構をいかに実現するかに注力した。「省力に関わる本質的なキーワードを特定しJ-PlatPatで検索しました。必要なものだけに絞っても1,000件以上は出力しましたね」。それだけでも大変な労力を要するが、プロジェクトごとに、知的財産権分野に特化した顧問弁理士とともにダブルチェックも実施するという。

特許文献のリサーチと並行して行われるのが、市販されている他社製品の分解・測定だ。ステープラーのケースでは、デジタルフォースゲージ(荷重測定器)で紙を綴じるために必要な「押す力」の数値などを中心に調査。「どのケースも同じですが、ある製品に使いやすさを感じたら、その理由を構造的、造形的、人間工学的視点などから科学的に分析し、測定して数値化します。文献上の特許からも同様に理論的な数値を算出します。そのうえですべての数値を比較・検証し、案件ごとに最適な目標値を設定します」。こうしたプロセスに余念がないのは、随時7、8名のデザインチーム全員が同じベクトルで制作に取り組むことができるよう、客観的根拠となる共通言語を導き出すためだ。目標値は、各デザイナーからの数種の機構案を議論するプロセスにおいて、最終案を決める際の重要な基準となる。

Photo by Michinori Aoki

2016年に製品化された「省力ステープラー」。中国の大手文具メーカーDeli(得力集団有限公司)の依頼により約27カ月の開発期間をかけて制作。トップの写真は、実際に動かすことも可能なスケルトンタイプの模型。中国のステープラーは卓上型が基本。指先で軽く押すだけで紙を留められるよう、一般的な市販製品の標準値と比べ、約70%の省力率を実現した。上の写真は機構を検証するために制作したアクリルのモックの一部。

デザイン決定後は、定石通り、手描きのスケッチから3D CADを活用したモック制作へと進む。ペーパーモックからアクリルモックまで段階を踏んで制作するが、この過程で最も神経を使うのが、精巧な1分の1サイズのモックづくりである。フォルムの手がける製品は、ステープラーをはじめ、ベビーカー、調理器具など、機構と外観が密接に結びついている製品が多い。動かすことによって機能が発揮される「動的意匠」はデザインの要となる。「3D CADの性能が大幅に進化したとはいえ、3D画像のみでデザインを完結させてしまうことは避けたほうが賢明です。1分の1サイズの模型に落とし込むと、部品の厚さやパーツ間の位置関係などの事情により予期せぬ誤差が生じ、必ず調整箇所が出てきます。デザイナーの寸法感覚やボリューム感覚など手仕事のセンスも失われてしまいます」。

松本は工学部の出身だ。エンジニア的視点を持ち、設計においても一家言を持つ。現在は日本大学藝術学部の大学院でも教鞭をとるが、いまだデザインを学ぶ課程に芸術系と工学系というふたつの潮流があり、両者の間に隔たりがあることを危惧する。「法的知見も含め、デッサンやモックづくりのような手仕事ならではのスキル、さらには科学的視点に基づいたエンジニアリングの素養が上手く融合したカリキュラムが理想です。芸術系学部の生徒は、エンジニア的素養を磨く機会が少ないので、なんとかそこを伝えようと孤軍奮闘しています。新たなデザインというものは、美的意匠とエンジニアリングというふたつの視点の融合から生まれるものですから」。

「感覚を数値化する」。現代においては、テクノロジーの力を借りて一瞬で実現できそうな錯覚にも陥る。だが、実際はそんなにたやすいものではない。粘り強く根気の必要な作業の丁寧な積み重ねこそが科学的裏づけの鍵を握る。フォルムは2024年に設立40周年を迎えた。そのデザイン哲学は、日頃からの地道な努力によって変わることなく支えられてきたのだ。(文/岸上雅由子)End

Photo by Shosei Seike

左から、フォルム取締役の小笠原伸行、代表取締役社長の松本 有、マーケティング&デザイナーの山崎 守。彫刻家でもある小笠原はプロダクト開発時のモック制作、加工、検証を担当し、社員にさまざまなアドバイスを行う。山崎はステープラー開発時、中国に滞在し、クライアントとの折衝を行った。