
東京都立大学大学院 システムデザイン研究科 インダストリアルアート学域の授業「インテリアデザイン特論」において、学生の皆さんが3チームに分かれ、第一線で活躍するデザイナーや建築家、クリエイターの方々にインタビューを実施。インタビュー中の写真撮影、原稿のとりまとめまで自分たちの手で行いました。シリーズで各インタビュー記事をお届けします。
キュレーター 長谷川祐子さん
深く時代と社会にコミットし、批評的な関係を結ぶために
日本を代表するキュレーターのひとりとして、国内外の展覧会づくりを牽引してきた長谷川祐子さん。本インタビューでは、その精力的な活動を支える原動力や問いの立て方、そして今の時代・未来の世代をどう見ているか、キュレーターならではの視点から語ってもらった。
現代アートとの決定的な出会い
――世界各地を飛び回る多忙な中で、日々のスケジュールと日常のリフレッシュ方法を教えてください。
30年ほど公立美術館のキュレーターをやってきて、その間に国際展覧会も手がけてきました。海外での仕事も多かったので、定番のスケジュールや日課などはあまりありません。仕事の状況によって生活のリズムが変わります。趣味は水泳で、リフレッシュのために泳ぐことが多いです。シュノーケリングやダイビングも好きです。水は浮力があって、日常の半分の重力で済むので。それに、世界から切り離される感覚がいいんです。
――長年お仕事を続けられている原動力や、仕事への使命感について伺えますか。
東京藝術大学の学生時代に、ドイツのアーティスト、ヨーゼフ・ボイスを大学に呼んだことがありました。ボイスは黒板にドローイングを描きながら、ユーラシアの資本主義やクリエーションについて講義したんです。そのときに使った黒板が、あとで作品になったんです。その場にいた美術館の人が「これはいくらですか」と私に聞いてきて、「黒板の値段ですか。1万円くらいじゃないでしょうか、大学の備品なので」と答えたのですが、美術館の人たちは作品として買いたかったんです。それが数千万円の価値をもつことを理解していた。そのときに現代アートとはこういうものなのだとわかったのです。コンセプトが現代に深く関わっているということ、それを視覚化する力があるということが非常に興味深くて、それ以来現代アートの勉強を始めました。
人は理屈だけでは動かないと思っています。メンターとの出会いや、自分の内側からの動きがきっかけになることが多い。私はそのとき、パッシブに絵を描くことをやめて美術史のほうへ進もうとしていましたが、キュレーターとして、よりアクティブにアートと関わるやり方があることに気づいたのだと思います。
最初は水戸芸術館に芸術員として入りました。磯崎 新の建築はインスタレーションに適していて、そこでアーティストたちと連続して作品を制作した経験が、私の仕事のはじまりです。アニッシュ・カプーアをはじめとするさまざまなアーティストたちと仕事をするようになったのですが、いきなりその世界に踏み入ったという感覚でした。彼らは知性と野性とを行き来できる、想像力が豊かでかつ強い存在です。そんな彼らが私を信頼してくれていることが非常に大きなポイントで、彼らと一緒に世界を見ていくことが、仕事を続けているうえでの大きなモチベーションになっています。

関係価値を形成する
――展覧会をつくる際、アーティストのコンセプトと、キュレーターとしての展覧会のコンセプトのすり合わせの過程で、どのようにして両者の考えを生かしながら、かたちにしていくのでしょうか。
すり合わせるというよりも、私の場合は常にアーティストのコンセプトを起点にしています。アーティストはそれぞれ固有の世界観やビジョン、そして問題意識を持っています。問題意識を持ちつづけること自体がセンスにつながるのであって、単に「美しいものが好き」というだけではセンスとは言えないと思っています。大切なのは問いを立てつづけること。その問いをとおして、人はどのように世界を見ているのか、自分自身の思考や視点を繰り返しリフレクションしていく。その積み重ねのなかで、センスが育まれていくのだと思います。
グループ展の場合は特に、アーティストに対して作品の配置とその理由を徹底的に言語化して伝え、共有します。私にとってキュレーションとは、「関係価値を形成すること」です。AとBというふたつの作品が並ぶことで、その間に新しいCという関係性が生まれる。単独では現れなかったものが、関係の中で立ち上がってくるんです。アートは基本的には「モノ」として存在します。概念だけで完結するものではなく、実体を持つ作品同士の関係によって、はじめて新たな意味が生まれるのだと考えています。
――問いはどのような観察や気づきから生まれてくるでしょうか?
現代アートは時代と一緒にあります。どれだけ深く時代や社会にコミットし、批評的な関係を結ぶかが重要です。水戸芸術館で1992年に行った「アナザーワールド・異世界への旅」展は人類学・民俗学における「異界」から発想しました。異界とは何かという問いが出発点でした。日本は水平的な感覚を持ち、西洋は垂直的な感覚を持っています。日本はこの世とあの世がつながっているという感覚があります。その水平的な感覚をもとに、アーティストをこの世とあの世の媒介者としてイメージし、展覧会を構成しました。問いは、そのときどきの考えから立ち上がります。オルタナティブとは、今あることを疑うことであり、それが基本です。
この10年ほどはエコロジーについて考えています。親戚の子どもの成長を見て、未来を意識するようになりました。若い世代に何を渡せるのかを考えています。2017年のモスクワ国際現代美術ビエンナーレでは「Clouds⇄Forests」を、タイでは社会共通資本をテーマに複数会場で展覧会を行いました。思想をアクションにするという姿勢です。展示をパブリックに開くことはポリティカルで責任も伴いますが、そのぶんさまざまな応答が返ってきます。思考はそのような循環の中にあります。

ポジティブなクリティシズムを
――人は知覚を通じた習得の反復で、無意識に規範が生まれる。それを自覚し打破する姿勢は「常識を疑う」ことにつながると考えますが、この点についてのお考えをお聞かせください。
私は物事を判断するときに「世の中が面白いか、面白くないか」で考えています。あらかじめ決まっているものは、基本的に面白くありません。みんなが同じことを言っている状態では、時代が変わる瞬間に機能しなくなってしまいます。 気づき自体は感覚的なものですが、そこで終わらせずに、そこからロジックをつくっていくことが大事だと思っています。私の基本的な立場は「ポジティブなクリティシズム」であり、やたらと否定するのではなく、どうすれば機能するかを考えるための批評です。
――昨今の若い世代のアーティストやデザイナーを見て、「今の時代らしい」と感じる部分や彼らの表現や考え方で、特に印象的に感じる傾向があれば教えてください。
最近の若い世代のアーティストやデザイナーの傾向は、いわばダブルブレード(両刃の剣)だと感じています。情報に対するビジュアル・シンキングの能力は非常に高い一方で、リフレクションが弱く、反射的に「いいね」と反応するだけで、すぐに忘れてしまいます。リテラシーは高いものの、思考の深さには課題がある。 「遊び」が足りないとも感じています。遊びが不足すると、人はセクシーさを失ってしまいます。ラテンアメリカのように、制御できない力が多く動く場所にはエネルギーがあり、理性と混沌の両方があって、それがよいのだと考えています。
――展覧会において鑑賞者が何でもケイタイで撮影することについて、キュレーターとしてどのようにお考えですか。
昔は場所や作品そのものを撮っていましたが、今は「自分がそこにいた」という承認、あるいは証拠が欲しいのだと思います。それは同時に、その場の環境の一部になったというエンゲージメントやコミットメントの証拠でもあります。没入型の空間が好まれることや、当事者でありたいという意識の高さも、そこに表れていると私は読んでいます。作品を撮ること自体は、別に構わない。ただ、撮ったあとにちゃんと自分で編集したり、見返したり、どう流すかまで考えることが大事です。まず撮ってから見る、という順番にはなってほしくありません。感じて、考えてから撮る。体験と撮影は半々くらいがいい。撮ってしまうと、体験はどうしてもインデックス化されて、フラットな記号になってしまうのです。
一方で、今はAIがつくった「二次的なイメージ」が大量に出回っていて、真偽が曖昧になっています。自分が現場で撮った一次画像が、「本当にそこにいた」という証拠として意味を持つ場合もある。ただし、皮肉なことに、画像の持つ意味や質がどんどん劣化しているんですよね。だから、メディアとは何なのか、自分の画像が巨大なデータの中でどう扱われているのか、そこまで考えてほしいとも思います。
――これからデザインを学ぶ人たちは、“22世紀を見つめはじめる”世代だと思います。未来を見つめる世代へのメッセージやエールをいただきたいのですが。
カナダで「22世紀の美術館」という講演をしたことがありますが、そこで話したのは、これからのデザイナーやアーティストの役割は「可感化」だということです。ビジュアル・ランゲージだけでなく、身体で感じることや、第六感も含めたセンサリーな部分のことです。言語によるコミュニケーションはすでに限界を迎えつつあります。価値観や出自が多様化するなかで、言葉だけでは共有しきれないことが増えている。だから、詩や歌も含めて、感じられる言語、視覚的な言語、聴覚的な言語が必要になってきます。
AI、特にLLM(Large Language Models:大規模言語モデル)は過去のデータの集合体です。未来をつくるのは人間です。AIがつくる「見たことのないもの」は擬似的なものであり、「本当に見たことがない」と判断するのは私たち自身です。その境界をはっきり意識しておく必要があります。だからこそデザインは重要で、これからは空間デザインのような「体験のデザイン」へとシフトしていきます。香りや音楽などを組み合わせて、共感が生まれる場、アンビエントをどうつくるかも大切になってきます。 まずは自分の感覚で拾っていけばいいと思います。
結局のところ、最後は「自分で考える」ことです。今の時代が何を求めているのか、自分自身は何を求めているのかを意識することが大事です。見つけ方は人それぞれで構いません。それと同時に、「一緒に生き延びる」ということも考えてほしいと思います。どうすれば生き延びられるのか、宇宙の話もありますが、まずは足元からです。(取材・文・写真/東京都立大学 インダストリアルアート学域 多胡靖子、大坪 楓、森 早苗、廣瀬 涼、村上 駿、杉山陽晟、張 筠雅、山中爽歌)

長谷川祐子/キュレーター、美術史家。京都大学法学部卒業。東京藝術大学美術研究科修士課程修了。水戸芸術館学芸員、ホイットニー美術館客員キュレーター、世田谷美術館学芸員、金沢21世紀美術館学芸課長・芸術監督・館長(いずれも歴任)、多摩美術大学芸術学科教授、東京都現代美術館学芸課長及び参事、東京藝術大学国際芸術創造研究科教授を経て、現在は京都大学経営管理大学院客員教授、国際文化会館アートデザイン部門プログラムディレクターを務める。ラジル文化勲章(2017年)、文化庁長官表彰(2020年)、フランス芸術文化勲章オフィシエ(2024年)を受賞。












