【阿部雅世さんの連載16】生きとし生けるものの庭

第16回 生きとし生けるものの庭

パンデミック2度目の冬、スタジオのテラスの箱庭は、すでに初雪の下にあり、長い冬眠に入ってしまったけれど、集合住宅の5階、地面からさらに切り離され、宙に浮いた箱の中にある自宅の窓辺では、極小の庭が淡々と生き続けている。テラスの庭が箱庭なら、この窓辺の庭は「盃(さかずき)の庭」とでも呼ぼうか――キッチンの窓辺に並べた水盃の中では、毎日、生命再生のライブイベントが繰り広げられている。

植物というのは、おとなしい静かな生きものなので、ついその強さを見過ごしてしまいがちだが、実は、切られても切られても再生しようとする途方もない生命力を、その全身の細胞に秘めている。料理するときに切り落とす根菜のヘタの部分でも、捨てずにちょっと水に差しておけば、美しい葉っぱがそこから育ってくる。北ヨーロッパの冬に欠かせないビーツという赤かぶは、食べる輸血といわれるほど栄養素に富んだ冬の定番の根菜で、私のお気に入りの食材でもあるけれど、このビーツから再生する葉っぱなどは、芸術と呼びたいほどの美しさである。真っ赤な葉脈と葉の緑の対比があまりに美しいので、蚤の市で手に入れたアンティークのグラスを水盃にして、うやうやしく育てている。

ニンジンも、美しいレースのような葉っぱを次から次へと吹き出す、私のお気に入りだ。腹の足しになるほどの緑ではないにしても、茶わん蒸しやポタージュの上に切ってのせれば、かなり心が満たされる美しい葉っぱで、何しろ収穫したてで食べるのだから、一口であってもたくさんの栄養が凝縮されているような気がする。

脳神経科医であり、その臨床経験をもとに多くのベストセラー小説を残した作家、オリバー・サックス※1は、没後2019年に出版された本※2の中に「なぜ人は庭を必要とするのか」というエッセイを残している。彼は、庭には、思考や行動や記憶が壊れてしまった人の中に、魔法のように人間性をよみがえらせる力があり、それが、どんな薬よりも効果があるということを40年の臨床経験の中で悟ったといい、この本の書評は、その話とあわせて、レイチェル・カーソンの言葉をひとつ取り上げている。

私たちの心の深いところに備わっている、自然界とその命に反応する何か――それは、私たちの人間性の一部である。※3
――レイチェル・カーソン

大地から切り離された箱の中に閉じ込められていても、自然界とその命に自分を反応させる方法はあるものだ。盃の庭の中で命を再生させ続ける野菜のヘタは、捨てず、あきらめず、育てようとしさえすれば、命というのは相当にしぶといものであることを、私に教えてくれる。この盃の庭は、私が見過ごしてきた、生きとし生けるすべての命が持つ再生の力を、ちゃんと見ておきなさいよと、披露してくれる舞台だ。

人間は植物と違って、切ったところから生えてくるような体を持っているわけではないし、爪が伸びたり、髪が伸びたりするのを、見るともなしに見ているとはいえ、日々の暮らしの中で、自分の再生能力を実感することはほとんどない。しかし、自分には見えていない体内では、毎日毎日、途方もない数の組織や細胞の再生作業がなされているらしい。

消化管の細胞はたった2、3日で作り替えられます。1年もたつと、筋肉や肝臓、さらには骨や歯など、昨年の私たちを形作っていた分子の大半が入れ替えられ、現在の私たちは、物質的には「別人」 になっているのです。
――福岡伸一※4

無意識のうちに、自分自身の再生を行っているというのもすごいけれど、物質的には「別人」になっていながら、鏡の前にいるのは相変わらずの自分、というのも不思議なものだ。見えていないものは多々あれど、何よりも見えていないのは自分自身であって、今、一番切実に問われているのは、この見えない自分とどう生きていくのか、ということなのかもしれない。

細胞の再生のようにうまくいっていることというのは、人間の意思や努力の外にあるようで、中途半端に考えたり、あせったりすると、どうもうまくいかなくなるもののようだ。できることがあるとすれば、余計な意思や努力をうまい具合に停止する、睡眠のための環境を用意して、布団に自分を潜り込ませ、あとはよろしく、とお任せするくらいしかない。細胞は再生し、寝る子は育つ。「再生は寝て待て」という格言は、なかったかしら。

盃の庭を離れ、広い大地に目を移してみると、フランス南東端のグラン・バリー自然保護区では、自然の治癒力に任せて生態系を回復させる試みが進んでいる。フランスの自然環境保護協会ASPAS※5の統括の下で行われている欧州最大級の森林再生のプロジェクトだ。それは、病んだ森が自らの力で、未来にふさわしい原生林として再生するよう、植樹も間伐も行わない試み。そこで人間がするのは、もし明らかに再生を邪魔している人工物があれば、丁寧にそれを取り除くか、そっと迂回できるようにすることくらいで、あとは極力足を踏み入れず、自然が繰り広げる奇跡に目を凝らしながら、ただただ再生を待つことだ。

手先が器用でせっかちなサルである人間は、すぐに中途半端なことを、あれこれしようとするが、目に見えぬ複雑な生態系の命の仕組みをどうこうできるほど、賢くはない。「Rewilding(再野生化)」と呼ばれるこのプロジェクトをサポートする、フランクフルト動物学協会のゾルタン・クン※6は、「私たちは神ではない」と、ホモ・ファーベルの思い上がりにくぎを刺す。彼の言葉を聞きながら、地球の園丁(えんてい)であろうとするならば、ここはホモ・ルーデンスであることに徹し、その庭に育つべきものが育ってくる奇跡に驚き、喜び、何がどう再生してくるのか、わくわくしながら待つのが一番よいのかもしれないと、あらためて思う。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、地球はひとつの有機体――そこに生きるすべてのものとつながった有機体であると認識していたという。一滴の青い水玉のようなこの星においては、欧州の森林の再生も、箱庭の草原の再生も、盃の庭の緑の再生も、私の体内の細胞も再生も――、実はみな繋がっているのかもしれない。盃の庭で起きていることは、自分の中でも起きているのであって、今日まで、自分が生きてきたということは、すでに奇跡のような再生の積み重ねの上にあるのだとすれば、私たちは自分の中に存在する庭の再生力を、もっともっと信用していいような気がする。End

※1 オリバー・サックス Oliver Sacks (1933-2015) イギリスの脳神経医学者。コロンビア大学医科大学院教授。1990年に映画化された「レナードの朝」他、「妻を帽子とまちがえた男」「幻覚の脳科学-見てしまう人々」(早川ノンフィクション文庫)など、多くの著書が邦訳されている。
※2 「Everything in its place: First Loves and Last Tales」(Picador, 2019)の中のエッセイ「Why We Need Gardens」
※3 「The real world around us in Lost Woods: The Discovered Writing of Rachel Carson」(Beacon Press, 1999)の中に書き起こされた1954年女性ジャーナリストサミットに先駆けて行われたレイチェル・カーソンのスピーチより抜粋。阿部訳。
※4 福岡伸一(1959-)日本の分子生物学者。「変わらないために変わり続けている」という生命観に基づく「動的平衡」の思考を提唱する。JAグループ―私のオピニオン|福岡伸一より抜粋
※5 野生動物と自然遺産の保護のための協会 ASPAS Association pour la Protection des Animaux Sauvages
※6 ゾルタン・クン Zortan Kun。Frankfurt Zoological Societyの主任研究員として、IUCN、WWF他、多くの森林保護プロジェクトの顧問を務めている。

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